銀皿航海 蹴球7日制

横浜F・マリノスサポーターです。好きな言葉はシャーレです。

勢いと積み重ね、長崎おめでとう。田代おめでとう。

満員をさらに2千人上回る、ホームスタジアム、トラコス長崎の雰囲気は圧倒していた。
私は昔、新潟がJ1昇格を決めたその瞬間にピッチで仕事をしていたのだが、人数こそ違えど長崎史上最も熱い試合となったのは、現地で無くDAZNの画面であっても十分に伝わってくる。

デーゲームの間に、名古屋が敗れて、福岡も松本と引分けに留まり、「勝てば昇格決定」という舞台が整っていた。しかも夜に行われる唯一の試合で、しかもこれがホーム最終戦。日程くんがこれ以上ない味方をしてくれていたのだ。ここまで整うと逆に心配になるものだし、事実、先制しながらも追いつかれる試合展開。

試合展開も讃岐が一気に逆転、となっておかしくない時間帯があったのに、運動量が落ちかなったな。したがって勝ち越しも、ダメ押し点も必然だった。

92分に、長崎の最後の交代枠として送り込まれたのはCBの田代マーシー真一だ。18歳の時は日本代表に選ばれ、中澤佑二と松田直樹の後継と言われた、元・マリノスの期待の星。今や29歳、失意のマリノス退団から、町田、千葉、山形と渡り歩いて、今年は長崎でレギュラーの座をつかんだ。30試合出場の中心選手であり最終盤はベンチを温めていたがこの昇格決定のフィナーレに高木琢也監督は、彼を2点差の場面でピッチに送った。時間稼ぎではない何かがそこにはあったのだろう。大きな声で選手に指示を出している。ピッチで試合終了を迎えた瞬間、田代はタオルで顔を覆って長く号泣していた。

その姿だけで、この1年間長崎のために尽くしてきたことがわかり、こちらもグッとくる。様々なクラブを流浪したが、在籍期間の長さは問題ではない、深さだと思う。その点、同期でユースから昇格したあの長谷川アーリアジャスール選手にシンパシーが集まらないのは必然ではないか。同じく流浪のJリーガーだが田代の姿には感動を覚えた、そんな人も多かったのではないか。

2017年になってもそびえ立つ続ける中澤佑二がまだまだ全盛だった時代、闘う象徴の松田直樹。そして日本代表に定着しようとしていた栗原勇蔵。田代が入ってきた頃のマリノスはどう見ても日本屈指の層で無理ゲーだった。町田で腕を磨いて帰ってきたら、自分よりも下のカテゴリーにいたはずのファビオ・アギアールの身体能力に愕然とした。

将来を嘱望されていたはずの田代マーシーの20代は、恐らく挫折の繰り返しだったはずだ。思っていたのとだいぶ違っていた。ただそんな挫折の物語は掃いて捨てるほどある。何しろ、ここは日本最高峰のプロリーグ。サッカー少年の数とほぼ同じ数だけ絶望と怨念はある。中村俊輔ですらマリノスユースに上がれずに、中澤佑二は高校卒業とともにブラジルに向かって修行するしかなかったレベルなのだから。問題はその挫折の後に、何をしたかである。

俊輔や佑二と同列に語ったら、田代は驚くかもしれないが、彼はマリノスを去った後もやり続けた、自分にできることを。決して諦めなかった。だからこそ、そのご褒美がこの夜の涙である。田代のことを調べようとググったけど、ほとんどインタビューなどがひっかかってこない。どんな道を歩んできたのか、ほとんどを知りえない。

あの涙だけで何かを語るようなことはおこがましいが、この1〜2ヶ月の勢いでJ1昇格をつかんだと長崎を語るのは間違いだと思う。勢いだけなら、あんな涙が出るものか。経営的にも大きなハンデを抱えたクラブが、そう簡単に昇格できるものか。J2の厳しさを知りたければ千葉の苦闘を見ればわかるはずだ(なんでや、千葉関係ないやろ)

2009年のマリノス在籍時以来のJ1のピッチに9年ぶりに帰る、その切符をつかんだ不屈の精神を褒め称えたい。これからオイルマネーならぬ、ジャパネットマネーで戦力補強に走るだろうと言われている。移籍金の金利手数料はジャパネット負担という作戦も断行してくるだろう。いや、それはない。

地元選手に触手、という話もある。瓦斯の徳永悠平にオファーという記事が早くも出た。日本代表の吉田麻也も長崎出身、プレミアを去る際には出身地を選ぶかもしれない。田代にとっては、これからが戦いの本番である。田代に加え、マリノスゆかりで言えば北谷史孝もまずはおめでとう、である。確かな土壌に加えて、勢いが重なった時が真の強さを発揮できる時。どちらかだけでは続かない。
(そういう意味では、もう1枠については千葉に積み重ね×勢いを感じるが果たして…)


我らの長崎遠征が先か、彼らの横浜遠征が先か。再会が楽しみである。おめでとう、V・ファーレン長崎。

さらば!青春のブログ

何年経っても2013年の輝きは色褪せない。2位だったか、1位だったかの差は記録の上では残酷なまでにはっきりと分かれる。あと1勝、ホームの6万人の前で。その試合でなくてたった1勝、掴みとれていたら今、私たちのユニフォームの星はもう一つ増えていた。でも、あの記憶が色褪せることはないと、私は思っている。

 

喜びと絶望と、振り絞るように戦った天皇杯の戴冠と。ほんの一文で振り返るならば、たったこのことで、記録されるであろう2013年。私はマリノスサポーターになった。

 

開幕から間もない2013年5月、「2013年、中村俊輔がシャーレを掲げる」という名の強気で、勝手なブログを始めたのだった。その事によってマリノスへの愛が深まり、またサポーター仲間と呼べる人々との出会いがあった。今から思えば、いろんな初めてがあった。初めてのアウェイ、初めての◯◯スタジアム、初めてのユニフォーム購入など。そして快進撃を続けるトップチーム。まあ、毎日新しい驚きが次々とあり、狂ったようにブログの更新を続けた。熱狂というのはあんな状態を指すのだろう。中村俊輔ご本人との会話もあったりして、我が家一家の絆はマリノスによって一層固くなったと言っても過言ではない。

 

時は過ぎ、よく読んでくださった方はご存知の通り、俊輔の退団によりシャーレブログはその役目を終えた。そしてこっちのブログがスタート、以前のような熱狂とは異なるスタイルをまだ模索中である。

 

【重要】スポーツナビ+(ブログ)サービス終了に関するお知らせ | スポーツナビ+事務局からのお知らせBLOG | スポーツナビ+

 

すでに私のブログは閉鎖状態だったとはいえ、スポナビブログのサービスそのものが、来年1月でクローズされるとの発表があった。段階を追って、新規の記事投稿ができなくなり、1月末にはこの世から消滅する事になった。

記録から消えても記憶に残る、ほどの大げさな話ではない。ただ抹消されるだけのこと。もちろん管理者が「引っ越し」をすれば、例えばこのブログの中に、アーカイブを作るなどしてきつでも会いにいくことはできるのだろう。やり方をよく知らんけど。

 

ただ、たまたま先にこのようなブログを立ち上げて、引っ越ししておいたから何も慌てないですむ。それも巡り合わせかもしれない。あとは指南してくださったFMBH管理人のnariさん(@fmbh_nari)のおかげだ。改めてお礼を申し上げたい。お礼にスタジアムでビールをご馳走する約束を忘れてました、すみません。いつか必ず。

 

1月末までしか見られないそうです。よかったら最後に一度見に言ってやってください。またアーカイブについて、ご意見やアドバイスいただけたら幸いです。

久しぶりに私も見に行きました。最後の方は悲壮感あるブログになってますね(笑)

2016年、中村俊輔がシャーレを掲げる | スポーツナビ+ 

 

10月に仕事の都合で、天皇杯もエコパも行けなかったのは誤算。行ってれば、もう一度だけ、シャーレの方を更新するつもりだったのだけれども。

 

アンドレア・ピルロの引退の報に触れると、あぁと寂寥感があるのもこの世代だからかな。本田や香川が代表から外れる時期が思ったより早く来たからな。

 

でもって、高知にいるプレミアムな番記者が書いてる情報と、現地まで観に行ったサポーターのブログ高知キャンプに来ました! : 屋根下あだちメモの情報が食い違っているのを見ると、やはり健全なブログは必要だなと思う次第。

自分の目で、正しい情報を見極めなさいと、番記者は教えてくれているようである。

 

 

 

 

高知には行けないから

天皇杯の準決勝と言えばマリノスの鬼門。2012年の準決勝覚えてるだろうか。こごみさんのブログにも度々出てくる、我らが山中亮輔との邂逅。19歳の山中亮輔との出会い。

 

師走とは思えないような晴れやかな空だった。サポーターになる、ほんの少し前の私は国立に乗り込んでいた。柏に勝つために、覚えたての「最高の場所へ」を繰り返し口ずさみながら。その前年は京都との準決勝、今をときめく久保裕也はワシらが育てたと木村和司が言ったとか、言わないとか。いずれにしても準決勝はマリノスの鬼門であった。

 

過去10年でベスト4に進むこと6回は堂々最多の数字である。にもかかわらず、優勝、決勝進出ともただの一度のみ。あとは推して知るべしだ。中村俊輔のマリノスラストゲームもまた天皇杯の準決勝だった。

 

私たちシャーレ一家がマリノスのために初めて飛行機に乗ったのは、のちに優勝することになる2013年末の天皇杯、準々決勝の大分戦だった。天敵・柏を退けてくれた大分を延長の末になんとか降したこの試合。我が家のマリノス愛と家族愛はこの遠征で深まったと言っても過言ではない。

 

さて長すぎる前置きの後に高知キャンプの話題である。リハビリ中の齋藤学キャプテンも帯同しているという。責任感を感じさせる一方で、若干、大学4年ですでに引退したはずのOBがやたら部室に出入りしてくるあの感じとやや似ている。それくらい学の愛は深い。去年はと言えば天皇杯の東京V戦の会場が高知だったことから組まれたキャンプが、今年はそうした日程とは無関係に組まれたことは意味がある。いいのだ、四国唯一のJクラブがない高知県に、トリコロールの萌芽をばら撒けばいい。

 

マリノスのための飛行機遠征でならしたそんな私も、高知には行けない。だから、考えることは来年の遠征である。長崎か、福岡か。はたまた新幹線で行くべき名古屋なのか。J1昇格争いはまったく予断を許さない。自動昇格の残る1枠は3チームに絞られたがプレーオフ圏はまだ熾烈だ。松本、徳島、東京V、横浜FC、千葉、大分まで可能性が残る。一体どこが勝ち残るのかを高みの見物をしているようであり、また息子と九州旅行したいなぁというささやかな希望とともに行方を見守る。

真剣に戦っている選手たちには失礼かもしれないが、とても幸せなことだと思う。マリノスの試合は2週間に渡って休止なのに、ルヴァン杯決勝からは天皇杯に思いを馳せ、J2リーグ戦では来年に同じ舞台で戦うチームを予想して楽しむ。贅沢なことだ。元はと言えば好きなクラブがあったから。そのことをとてつもなく尊く思った週末だった。

さらに三連休の最終日にはうちのシュンスケの試合もあった。スタメン落ちながら途中出場でゴールを決めて、公式戦初得点を記録。今度スタジアムで見かけたら、褒めてやってください。

 

高知には行けない。行けないからこそ、思いは募り、「そこにある」ことの幸せを改めて知る。

 

 

 

タイトルマッチに行こう

優勝、準優勝と分かれる前に、まずは晴天の埼玉スタジアムの舞台にたどり着いた両軍は強く、そして羨ましかった。水色と桃色は、ことサッカーにおいては私の好きな色ではない。でも、あんなに眩しく見えるのはそれが、タイトルのかかった最高の舞台上という特殊照明の仕業だ。

 

まだ寒い3月の平日の夜、コアコアなサポに混ざって私は金鳥スタで跳ねていた。ルヴァン杯のグループステージ第1節はセレッソ大阪対横浜F・マリノスで、カップ戦メンバー主体のマリノスはいいところなく敗れた。グループステージで得るものは大きかったが、最終節で4位となり、予選敗退となったのはまだ記憶に新しいところだ。

ところがC大阪はそこから13戦無敗を続けたそうである。寒空の下に桜が満開!の不愉快な歌を聴かされてから、随分と差がついてしまった。あれが彼らにとっては栄光への第一歩だったとは、当の本人すら知る由もなかっただろう。もう過去の話と言えるが、C大阪は昇格組、それもプレーオフを勝ち上がっての言わば18番目のチームだったはずである。大熊時代の迷走ぶりをついこないだのように思い出せば、ユンジョンファン恐るべしと言うしかない。

 

翻って川崎。知り合いに川崎を応援しているも多くいるので、その人たちの気持ちを考えると、ざまーとか、無冠ターレとか揶揄する気持ちはない。正確に書くと、ほんの少ししかない。なまじ強いだけに、最後の1試合でタイトルを掴めないという事実だけが際立つ。この勝負弱さは偶然なのか、伝統なのか。でもマジレスすると、一回勝ってしまえばその後は何事もなかったかのようにタイトルに手が届きそうな気もする。だからこそ、無冠のままでいていただきたい気持ちが私の中では大きい。

 

大事なタイトルマッチを前に、クラブは優勝に備えて紙テープを売り出していたようだが、なんかその辺りがな。その昔に独走態勢で優勝間違いなしという中、早々に優勝記念号の発売日を発表してしまった阪神タイガースを思い出す。その後、歴史的な失速で優勝を逃し、記念誌「Vやねん!」はお蔵入りとなった。あれと一緒だ。

開始47秒での失点に繋がったミスを取り上げるつもりはないが、試合の入り方に問題があったのは事実。10回試合をしたら、川崎が6回以上は勝ったように思うのだが。

 

ただ川崎は強い。これからもマリノスの前に立ちはだかるだろう。 その時に飲んでかかるためにも、我々はまた一つタイトルを積み重ねたい。リーグタイトル…ではないが、天皇杯まであと2勝。なんのご縁か、準決勝は等々力で、決勝は埼玉スタジアム。

 

あのタイトルマッチに身を置きたい。そして絶対に勝ちたい。

エリクの引き際にマリノスの未来はある

鹿島と磐田に連勝した、リーグと天皇杯の連戦こそ、エリク モンバエルツ監督がもたらした成長のハイライトだったと私は思う。退任による後出しに聞こえるかもしれない。だがフランス人指揮官によるチーム作りは一つの確かな結果をもたらした。

だって、齋藤学も

ウーゴ ヴィエイラも

マルティノスも欠いた布陣。この3人の個人能力に頼ったいびつなチームだったはず。確かに押し込まれたし、ラッキーもあった。

 

けれども逞しく戦い、俺がやってやるという姿勢を多くの選手が示してくれた。ほんの少し前を思い出せば、隔世の感がある。

 

中村俊輔頼み。スター選手におんぶに抱っこ。それは興行的にも、戦術的にも。31歳の日本代表の中心選手から、そりゃあ6年も経てばいよいよ晩年期だ。木村和司監督の頃はまだしも、樋口監督時代にも、手付かずの課題だった。

覚えているだろうか。俊輔が欠場と聞いた時のあの無力感。今日こそは誰々が奮起を!とか言うものの、常に周りが求めるのは中村俊輔の役割そのものだったからだ。俊輔ありきのシステムは、俊輔ファンにはたまらないのだが、だからこそなんとかしなければいけないことは分かっていた。新しい芽が芽吹くことがなかったのは、もちろん俊輔が悪いわけではない。だが、存在感が絶大だけに大きな重しとなっていたのも事実だと思う。

真価が問われたのは今年だった。正しいのは俊輔だったのか、クラブだったのか。その問いに答えはない。だが、マリノスも磐田も躍進した。それだけが答えなのかもしれない。

俊輔、榎本哲也、兵藤慎剛、小林祐三らが抜けた昨シーズンオフは崩壊と評された。日本語を解さない指揮官であっても自身に吹く逆風が面白かったはずはない。

真摯に、自身の信念とクラブから託された方針を信じた。その結果、中澤佑二がこの一年で入れた縦パスの本数を見たか。数えたわけではないが、多分この10年間に出した縦パスよりも多い。それくらい佑二には苦手と言って良かったビルドアップが板についてきた。39歳で満身創痍なのに、その要求に応えた本人がすごいが、要求し、実際にスキルアップさせた指揮官はすごい。

 

あれは2016年、夏の終わりだったろうか。ああ、2ndステージの俊輔の離脱と時期が重なるかもしれない。マリノスが突然、自陣でボールをつなぎ始めた時だ。目を覆いたくなるような質だった。できないことをやるものだからミス連発。おいおい、縦にシンプルに蹴ってくれよ〜と、目先の試合しか見ていない私は思った。そんなに上手くなることなど、想像していなかった。

 

あの鹿島戦。この4年間で唯一の勝利であるあの鹿島戦。当代一のボランチ、レオシルバのプレスを交わすトリコロール。リーグ1の鹿島のプレスに屈しない、それどころか磨き上げたカウンターに賭けるその姿は感動すら覚えるものだった。今シーズン、いや3年間のベストバウト。

 

3年を区切りとしての退任。来季も5名もの18歳の選手が加わることを考えれば、育成に定評のあるエリクの続投を望む声も多いだろう。だが古川社長と、CFGと、エリク本人が交代を選んだ。リーグ優勝経験のある監督を軸に探すという。なにもJリーグの優勝経験とは言ってない。シティのパイプで驚くような人選を期待したい。強いていうならエリクに足りなかった勝負師としての強さ、身近で言うならネルシーニョ型が持つ特性が今のマリノスには必要かもしれない。

 

ありがとうは、まだ言わない。

残り3試合でかかる念願のACL出場権の奪還。そしてタイトル、天皇杯まであと2つ。エリクの帰国を年越しまで遅らせて、そして勝ってこの3年を締め括ろう。

 

まだ戦う。