長野県松本市は、2011年夏に松田直樹が眠りについた場所で、マリノスサポーターにとって所縁のある土地になった。松田の思い出をめぐるつもりはなく、松本の人々が彼にどんな思いを持っていても、そこに立ち入るつもりはない。当時、松本山雅はJFLに居た。マツを失った後、J2そしてJ1へ登って行ったのは見事だった。
初めてJ1に昇格した年は2015年、マリノスはアウェイの地を踏む。試合はアデミウソン、中町公祐、藤本淳吾のゴールで3-0の完勝。
覚えているだろうか。この年、アウェイユニフォームは、マッキン金だった。記念タオマフの色が金黒で、大津動きますの4年前、すでに私たちは金黒だったのだ。金に身を包んだエディーマーフィーみたいなアデミウソンが豪快なボレーシュートを叩き込んだっけ。
ただしマリノス対山雅の初対戦は、あれじゃない。実はあの年、プレシーズンマッチが開幕前に組まれていた。2月、寒空の日産スタジアム。「AED普及マッチ」とは即ち、松田直樹が引き寄せた縁だった。
マリノスのスタメンを振り返る。GK榎本、DF小林、栗原、中澤、下平。ボランチに中町と喜田で、2列目は右から兵藤、優平、齋藤だった。中村俊輔は足首の手術で不在。アデミウソンはまだ契約していない頃。ラフィーニャは前年に、ジェシに削られてからようやくサブに戻って来た頃。なぜか思い出せないがベンチには翔さんも、矢島も、藤田も、端戸もいないのだ。シーズン開幕の命運をモンバエルツ監督は本気で17歳の和田昌士に託そうとしていた節がある。提携したばかりのマンCへの短期留学第1号が、和田だった。
この頃、早々と2種登録され、ユースと言えば和田だった。同じ二俣川の遠藤渓太は、ユースを追いかけている人しか知り得ない存在だったのだ。もちろんこのプレシーズンマッチには遠藤は絡んでいない。
和田と遠藤。そのライバル友情ストーリーは、本稿の役目ではない。まりびと、読んでください。遠藤がトップ昇格を掴んだのは和田が怪我で不在だった日本クラブユース選手権だ。得点王とMVPのダブル受賞で、一気にプロの切符を手繰り寄せた。
2016年にプロデビューして4年が経つ。先日の代表戦に選ばれながら辞退してしまったのは悔しいだろう。久保建英、堂安律、三好康児らと同じピッチに立ったとしたら、あの出来の悪い試合でどんなパフォーマンスをしたか、興味深い。
遠藤渓太は、いつも期待と落胆の狭間にいた。でも和田や後輩たちが次々に期限付き移籍でチームを離れても、渓太だけはマリノスで出続けた。
出続けた、というと異論を唱える人がいるかもしれない。確かに齋藤やマルティノス、マルコス、仲川それに最近ならマテウスと、常にライバルにレギュラーの完全定着を阻まれてきた感は否めない。
だがこれを見てほしい。というか、写真じゃ伝わらないので、J. League Data SiteこのJ1出場試合数ランキングをよく見てほしい。
遠藤渓太、22歳。J1通算94試合出場。
これは歴代記録なので、とんでもないおじさんも混ざっていたりする。通算109試合に敵将の反町康治さんも登場する。
上下の生年月日を見渡すと、97年生まれ、すなわち東京五輪世代は皆無である。札幌の菅が84試合かな。肉眼で追いかけただけなので、間違ってたらすまん。ちっ、反省してまーす。
途中出場も多々含むが、プロ4年目のシーズンでこの数字は出色だろう。18歳で頼りなさげだった少年は、22歳今や立派なプロ選手になった。彼が居なかったら、今年の優勝争いはなかったと言えるほどの存在感を放ちつつある。このまま世代のトップを走り続けてほしい。海外に移籍したらJ1出場数が伸びるわけがない? そんな厳密な横槍は、ここではどうでもいい。
4年とは「それだけの年月」である。J1初挑戦の松本が失意のうちにJ2に逆戻りして、再び戻ってくるまでに4年がかかった。サンプロアルウィンは、アルプスの気高く美しいスタジアムである。マリノスもまた4年分の進化をたくわえて舞い戻る。
私は4年前と何も変わっていない、いや肉体は衰え、腹が出たかもしれない。嘆くことはない。自分次第で明日は変わる。遠藤も和田も戦っている。
「アウェイ」と一括りでは語れないものを松本には感じている。近くて近い等々力や調布とはもちろん違うし、遠くて遠い鳥栖や札幌とも違う。松本には申し訳ない表現だが、次いつ行けるか分からないノスタルジー。 え、別に試合がなくたって松本くらい行けばいいじゃない? そういうことじゃないんだ。アウェイの遠征と旅行は違うんだよ。
私は、今季22試合5ゴールの和田昌士の帰還を待っている。まだ22歳、もう22歳。来季の契約はどうなるだろうか。できたら、もう一度マリノスでのチャンスを。仲川輝人のような遅咲きの夢よ。
花の命は短く、サッカー選手の輝きは儚い。
ユサンチョルがステージⅣのガン闘病だという、48歳。ここで、マツの例を出すのは良くない。若過ぎる。戦いに勝ってほしい。
2011年の松本の夏は暑かった。15年は気楽な旅だった。今は勝手に(笑)背負うものが多い。こちらは優勝とか、あちらは残留とか。
2019年晩秋の松本も忘れられなくなりそうな気配がある。よし、もう少し仕事がんばれそうだ。