今年もマリノスにシャーレを 2020

シャーレを掲げることは難しく、守ることはさらに難しい。連覇に挑む2020年、アウトサイダーではなく本命として、今年もシャーレを掲げよう。座右の銘はシャーレです。

歴代外国籍選手 列伝Ⅱ(次に2016~2018年編)

外国籍選手の数だけ、物語がある。

歴代外国籍選手 列伝の第一弾を読むにはこちら↓
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第一弾で取り上げた直近3年の加入選手は極端にブラジルに偏っているが、アイザック・ドル氏が強化部長を務めていたころ=CFG初期は実に多国籍だった。これ以前の時代とも、現代とも空気感の異なる、「インターナシオナル・トリコロール」の時代があった。

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2016年以降、マリノスは多国籍時代へ突入したマケドニアやキュラソーの国旗を初めて見たという方も多かったはず

■2018年 ボス初年度は混迷の残留争い。立て直しが迫られた

FW:ユン イルロク・YUN ILLOK

背番号25、92年3月7日生まれ、韓国出身。現所属:モンペリエ(フランス1部)

新生・マリノスの命運を左右する存在として大枚をはたいて獲得。韓国元代表の看板を引っ提げて、主に左ウィングとしてプレー。真面目で実直。アジア大会金メダルの実績があるため、韓国選手特有の悩みである兵役も免除。テクニシャンで頭もよい。
ところが、マリノスというよりはボスの志向するプレーヤーではなかったということになる。翌年、ボスが獲得を望んだのはマテウスだったわけで、「合う」「合わない」はある。それが端的に出てしまったケースと言える。

ユンユン(と呼ぶのも懐かしい)が得意だったのは、味方の力を借りながらコンビネーションで崩すやり方。でもマリノスが求めたのは、「ボール、預けました!サイドをなんとかしてください。ほかのみんなはエリア内に駆け込んでお待ちしています。どうぞお願いします」…そりゃ合わないわ。

開幕から2か月間はほぼ全試合で左ウィングでスタメンで出場するも、5月以降は出場機会はすべてが30分以下で途中出場の5試合のみ。秋には、ほぼベンチ外になっていたものの、伊藤翔や遠藤渓太らが負傷していたこともあってルヴァン杯の湘南との決勝戦では出場。「うーん、今さらユンなのか、うーん」という感は否めなかった。ついに公式戦のゴールはゼロのまま日本を去ることとなる。

ただし彼の名誉のために言うと、マリノスが保有権を保持したままで済州ユナイテッドに移籍すると2019年は二桁得点の大活躍で覚醒し、モンペリエからのオファーを受けて渡仏を果たす。フランスから触手が伸びるようないい選手だったのだ。だがマリノスには合わなかった。契約解除のお知らせは、予期していた時期に来たとはいえ少し悲しかった。二度目の海外であるフランスでは長く活躍してほしい。



MF:オリヴィエ ブマル・Olivier Boumal

背番号20、89年9月17日生まれ、カメルーン出身。現所属:FCサブルタロ(ジョージア)

今も覚えている人がどのくらいいるか分からないが、加入が発表されたのは日産ギャラリーで行われたポステコグルー監督と、若社長・古川宏一郎のトークショーの中で、突如、新選手の契約がまとまったというサプライズ報告、またの名を茶番で発表された選手こそ、ブマルだった。この茶番の時点で若干フラグは立っていたのだが、シーズン開幕まもなくで、監督の志向するアタッキングフットボールを推進するうえで重要な選手(ピース)だという説明。
いわゆるスピード突破が魅力のタイプで、上述のユンイルロクがスピード型ではなかったことから急きょリストアップされたという説が一般的だった。

ただし蓋を開けてみると、ゴリゴリ行くわけではなく、コンビネーションを使っての突破を試みてきたのでビックリ。あんなに立派なフィジカルを持っているにもかかわらず、意外にも周りに気配りして、クレバーで、確実性の高いプレーを好んだり。これは想像だが、マリノス側として期待したものとは違ったのかもしれない。

ユンユンが出番を失い、夏に移籍したミロシュの代わりにドゥシャンとチアゴが来たころ、ブマルも試合出場から遠ざかっていく。外国籍選手の出場枠のあおりを受けたという指摘をする方もいたが、個人的には久保建英の加入がブマルの出番を大きく後退させたのではないかと思っている。

でも、本当に笑顔が素敵な選手だった。ポステコグルー監督に直接口説かれたことで迷いなく中国から横浜にわたってくれた。「100万パーセントのモチベーションをもって」とも言ってくれた。カメルーン代表としてコンフェデ杯に出場した際に、ボスが率いる豪州代表と対戦し、攻撃的なサッカーに強く影響を受けたという。めぐり合わせというのは難しい。マリノスを1年足らずで退団すると慣れ親しんだギリシャに戻ると、現在はジョージアでプレーをしている。

ナイスガイだった。8-2で勝ったユアスタの仙台戦で豪快なヘディング叩きこんだ。今もあれでご飯三杯いける。

DF:ドゥシャン・DUSAN

背番号2、88年12月24日生まれ、セルビア出身。現所属:徳島

ドゥシャン・ツェティノヴィッチは魂熱き漢である。ドゥレ隊長との異名をとり、スキンヘッドと強面で横浜の最終ラインを守った。
鉄人と呼ばれた中澤佑二の連続出場記録が途切れ、元日本代表の栗原勇蔵も怪我がち、さらに現役豪州代表のミロシュ・デゲネクはW杯のロシア大会を最後に移籍を決断してしまう。なんとかサイドバックが専門の金井貢史でしのぐなど火の車状態のとき、ドゥシャンはやってきた。屈強なのは身体だけではなく、メンタルも最強だった。彼の加入でチームの最終ラインはなんとか安定を取り戻す。

だが強すぎて、激しすぎて、毎試合のように警告を受けるようになる。1試合に2枚の警告からの退場で1試合出場停止、復帰したかと思えばまた2枚もらって、今度は2試合出場停止。と執行猶予付き、仮釈放中なのにまたやらかすということで、シーズン後半はほぼ出場停止だったっけ。
翌19年は、畠中槙之輔の急成長もあり、開幕直前にレギュラーポジションを明け渡すと、その後リーグ戦は1試合のみの出場にとどまった。それでも、たとえベンチ外からでもチームを鼓舞し、盛り上げる姿は映像にも記録されている。
活躍は短い間だったけれど、彼がいなければこの年に降格していただろう。それほどチームを救ったという貢献度は高かった。現在、なぜか髪を伸ばし、徳島の最終ラインを支えている。今年はマリノス攻撃陣対ドゥシャンの戦いが見られるかもしれない。

DF:チアゴ マルチンス・THIAGO MARTINS

背番号13、95年3月17日生まれ、ブラジル出身。
Jリーグで最高のセンターバックと言っていいだろう。大げさでなく怪物、控えめに言っても”戦術そのもの”である。
アンジェ・ポステコグルー監督が目指す超攻撃的サッカーの前提となるのが高すぎる最終ラインだ。その裏には広大なスペースが空く。ボールを保持しているときは構わないが、相手にボールを奪われた直後にピンチになる。いや、大ピンチになるだろう、もしもチアゴがいなかったなら。
スピード、フィジカル、駆け引きとこれといった弱点もなく、チーム戦術の問題点を彼一人だけで解決できてしまう。だからチアゴは戦術そのもの、と呼ばれることもある。
でも個人的に一番好きなのは、試合が膠着状態のときに突如始まるチアゴのドリブル突破だ。彼がもし高い位置でボールを失うと、誰かが彼の代わりをしなければならないのだが、「そんな心配はいらないよ」とばかりに攻め込んでいってしまう。
2019年まではパルメイラスからのレンタルだったが、20年シーズンには横浜FMへの完全移籍が発表された。

チアゴがいるのと、いないとではあまりに最終ラインの緊張案がまるで違う。末永く居ていただきたい。愛称はチアゴ、チーちゃん。口ひげをたくわえて、眼光も鋭いうえ、かすれた迫力のある声をして、PKがめちゃうまいのだが、チーちゃんはチーちゃんだ。

■2017年 新たな幕開け、多国籍を極めた年

FW:ウーゴ ヴィエイラ・HUGO VIEIRA

 背番号7、88年7月25日生まれ、ポルトガル出身。現所属:ファレンセ(ポルトガル)
 元祖エモ型ストライカー。「多くのストライカーは足でゴールを奪おうとするだろう、違うね、ボールを蹴るのは足じゃない、ハートさ」との至言を残す(嘘)。彼のワンタッチゴールはびっくりするほど美しい。


 ウーゴを伝説たらしめたのは2つのハットトリックだと思っている。一つはJ1リーグ戦で湘南戦、ゴール前で抜群の落ち着きを見せて、なんと前半だけでハットトリック。しかしチームは4失点を喫し、ドローに持ち込むのがやっとだった。試合後に、「勝てなくて申し訳ない」とサポーターへ異例の謝罪が話題となり、守備陣を責めるでもなくチームの勝利を渇望する姿が大きな共感を呼んだ。二つ目は天皇杯、広島戦。0-2の敗退危機からウーゴの2ゴールで追いつき、試合は延長戦へ。2-2のまま、いよいよPK戦かと思われた120分の激闘で、GK飯倉からのロングフィードを受け取りタッチラインギリギリのところまで運ぶ。さあ味方に最高のクロスを!というシーンで彼がチョイスしたのは角度がないところからのシュート。これにはGKも完全に裏をかかれそのままネットを揺らす。敗色濃厚から、ありえない角度の決勝点、しかもハットトリックまで見せられてホームのニッパツ三ツ沢は歓喜に包まれた。
 
 劇的なゴールが多い一方で、消える時間帯も長かった。守備が免除されているとまでは言いたくないが、後のエジガルなどと比べるとファーストトップの役割は守備への切り替え時が重要なのだと分からされる。ドリブルのロストが多いとか、これ決定機イィィというところで意外に外してしまったりとか、そんなところも含めてウーゴだったので、18年シーズン終了後に契約満了となった後もサポーターに愛され続けている。
 20年は終盤に札幌に加入したものの契約更新にいたらず、再びポルトガルに戻った。

MF:ダビド バブンスキー・DAVID BABUNSKI

 背番号33、94年3月1日生まれ、北マケドニア出身。現所属:FCヴィトルル・コンスタンツァ(ルーマニア)


 草創期のG大阪で活躍したボバン・バブンスキーを父に持つ、親子Jリーガー。弟のドリアンも町田や鹿児島でプレーした。とくに親子そろってJ1で得点を記録したのは、水沼貴史・宏太、広瀬治・陸斗と、バブンスキー親子の3組しかいない。

 バルセロナ仕込みのテクニックで、練習を見ていても惚れ惚れする巧さを持っていた。当時、中村俊輔の退団が悪い方向に報道されて「マリノスは崩壊した」などと揶揄されたが、ウーゴやミロシュらとともに「このチームを優勝させるために俺たちは来た」「その通りだ、全力を尽くす」と語り合ったエピソードはファンを歓喜させた。

 さっそく開幕戦ではトップ下でスタメンを飾ると、自身も1ゴールあげて優勝候補と目されていた浦和に逆転勝利。次戦では、昇格したばかりの札幌に手を焼いたが、スコアレスで迎えた後半に、浮き球のパスをとらえたボレーシュートを放ちえげつない軌道とともにネットに突き刺した。月間ベストゴールにも選ばれた衝撃的なゴールで、私は「あかん…バルサ移籍してまう!」とスタンドで叫んだ(本当)

 W杯予選の母国代表に選ばれるなど充実の時を迎えていたが、課題は運動量と守備だと当初から指摘されていた。ウーゴも省エネタイプだけに、バブも併用するのは難しかったのだろう。10試合ほどはトップ下でのスタメンが続いていたが、チームの連敗が続き、ボランチから天野純が配置転換され、扇原貴宏がスタメンになり、バブは先発落ちとなる。

 その後途中出場の機会が多くなり、相変わらずの巧さ=とくに彼の磁石のようなトラップ大好きだった、は見せるものの決定的な仕事はできなかった。縦に素早く、マルティノスらのスピードを生かして、ウーゴで仕留めようという狙いがある中で、バブのようにボールに触りたがる、持ちたがる傾向もマッチしていなかった。
2018年途中で契約解除となり、その後大宮で入団。ダビドからダヴィッドに登録名が変わったが、デビュー当初の煌めきは示せなかった。
 ファンサービスにも熱心で、真面目を絵に書いたような性格。肉食をしないビーガンとしても知られていたが、サッカー選手としては不利なのではという指摘もあった。まだ今年27歳、あの輝きをぜひ新天地で取り戻してほしい。

DF:ミロシュ デゲネク・DEGENEK

 背番号34、2。94年4月28日生まれ。クロアチア生まれ、セルビアとオーストラリア国籍ももつ。現所属:レッドスター(セルビア)


 幼少期に「ユーゴスラビア紛争」の影響で、難民となって豪州に渡ったという過去をもつ。187cm、82㎏の屈強なCBで、マリノス加入時は23歳と、豪州代表としても将来を嘱望される存在だった。
 彼もまた真面目な人柄で、CBとしてコンビを組んだ中澤佑二のストイックな姿勢に感銘を受ける。ボンバーとミロシュのコンビは安定感があり、高さと強さがあり、ビルドアップにはやや難があった。今のポステコグルー監督とは豪州代表で指導を受けていたため、彼がマリノス監督に就任するにあたって、監督のやりたいことをチーム内に伝える役割も大きかったのではないだろうか。

 わずか1年半の在籍だったが、謎のロングスロー未遂(いかにも飛ばしそうな体格なのに、手が滑ったのかまったく飛ばなかった)や、中毒性のある♪ミーロミロ、ミーロミロシュのチャント、それに合わせて踊る姿がなど、思い出は多い。
 ミロシュのお父さんの名前が「ドゥシャン」というのも、なかなか因縁めいている。アイザック・ドル氏が強化部長として手腕を発揮していた時の東欧人脈というのがうかがえる。

 豪州代表としてロシアW杯にも選ばれ、その大会直後にレッドスターへと移籍が決まってしまう。彼にとっては、ふるさとのビッグクラブであり幼少時からの夢がかなった瞬間でもあった。その後は、サウジへの移籍期間もあったが、再びベオグラードにて奮戦している。
 なおレッドスターは今季、欧州ELのベスト32に残っており、決勝トーナメント1回戦でACミランとの対戦が組まれている。ミロシュの活躍に期待。

MF:イッペイ シノヅカ・IPPEI SHINODUKA

 背番号37、のち26。95年3月20日生まれ。千葉県出身ながら国籍はロシア。外国籍選手列伝に加えるべき存在である。
 イッペイちゃん、好き。あの真っ直ぐに結果にこだわるところと、移籍を決断した時のボスとの抱擁。悔しさと、リスタートの気持ちをもって大宮に移籍して、活躍した姿を誇らしく思っている(私、何様?)。

 日本で生まれ、義務教育も受けていたために日本人選手と同じ扱いで試合出場できるという特例がある。彼が母の出身国であるロシアに渡ったのは高校時代だった。きっかけは東日本大震災の影響で、学校もストップしてしまい両親とともにロシアへ。しかし両親が帰国する際、イッペイだけビザが発給されずにロシア残留という結果に。そこで、モスクワのサッカー界で一気に頭角を現して、17歳で名門スパルタクモスクワとの契約にこぎつけたというのがプロ入りの経緯。やがてロシアで出場機会を失っていたころ、新潟や横浜FMから誘いを受けてJリーグ挑戦を決断した。

ドリブルを武器で、ボールをもったらとにかく仕掛ける。反射的に仕掛ける。運動量とガッツもあって、見る者の胸をうつプレーヤーだ。
イッペイは、ルヴァン杯に出るといつも輝いていた。リーグ戦での出場機会を勝ち取りたいメンバーの中では、かなり目立っていた。チャンスもなかったわけではない。だが、仲川輝人とは明暗が分かれた。テルがいたからイッペイの枠が塞がったとみる向きもあるだろう。そのくらい紙一重のところで彼らトップレベルの選手は戦っていることを痛感させられる。

2019はさらに分厚くなった選手層の前に、ついにリーグ戦の出場はなかったが、マリノスの最後の試合となった天皇杯での意地のゴールを見せてくれた。去り際かっこよかったぜ。

大宮では主力に定着し、1年半で47試合に出場している。J1昇格プレーオフでもあと一歩まで迫ったが惜しくも敗退。だが大宮での活躍が認められ、今季から柏に移籍し個人昇格を果たした。柏のスタイルに合致しそうな気もするし、そうならばマリノスにとって厄介な選手になるだろう。


…これ、なかなかのボリュームですわ…。3年分くらいまとめて書いたろ、とタイトルをつけた自分をDOGSOで退場にしてやりたい(意味不明)。
すみませんが、以下の選手名は「次回予告」ということで、また必ず書きますので、今日はこの辺で…。

■次回、2016年! 長くクラブ史で語り継がれる債権が…!

FW:カイケ・KAYKE

FW:マルティノス・MARTINUS

DF:パク ジョンス・PARK Jeongsu


選手のプレーは大事だけれど、同じくらい人柄、真面目さは大事だぞ!
慌てて契約するのも、足元を見られるのも気をつけようね!

こうご期待・・・・。