マリノスにシャーレを 2024

横浜F・マリノスのスポンサーを目指して脱サラした頭のおかしい3級審判のブログです

私たちの2019年

私にとってのマリノス・ファースト・ゲームは2012年のある試合なのだけど、いつかきっとハマトラから執筆依頼が来る日を待ち侘びてここには書かない(笑)。日頃、お世話になっているサポ先輩たちを勇猛果敢にも食事に誘い、横浜市は白楽にある、とある居酒屋で楽しいひと時を過ごしたのが昨夜の話。この方たちとの出会いは、私のサポーターライフを豊かなものにしてくれた。感謝している。

出会いのきっかけは中村俊輔だった

2013年、優勝できなかったあの年。15年のブランクの中で、間違いなく最も優勝に近づいたあの年。私はサポーター1年生であると同時に「2013年、中村俊輔がシャーレを掲げる」という強気な名前のブログをスタートさせた。マリノスが好調なのも手伝って、スポナビブログというYahoo!と連携したそのブログは今よりも遥かに多くの人々に読まれていたようである。「ようである」というのは、どうもあの頃のスポナビのアクセス計はおかしかったからだ。

ともかく、あのブログをきっかけに、マリノスブログのポータルサイトこと、王者の泉であるF・マリノスブログヘッドライン、通称FMBHにリンクを貼ってもらうようになり、オフ会に参加させていただくことで、いわゆる有名ブロガー他、マリノスサポーターとの繋がりができた。

で、なぜそもそも中村俊輔だったかと言えば、まあ当時はマリノスといえば中村俊輔であり、あの年の俊輔はすごかったのである。しかも私は、正確に言うと私と私の妻は、その3年前に生まれた第一子に俊介という名前を付けていた。命名の理由の半分は、私の名前であり、半分はあの方だった。

今でも、マリサポであり、かつ子供の名前を明かすと「あっ、(察し)」となる空気感がしばしばある。そのくらいあの方は特別だった。

家族一丸となって遠征に行くのも楽しく、14年以降はネンチケを購入したのは自然な流れだった。

永遠なんて、ない

俊介が小学1年生になって彼にもチケットが必要な立場になり、当然のことながらネンチケを購入した。でもこの年、2017年、俊!あの方はもう居なかった。クラブが推し進めてきた方向と、レジェンドが望む方向はもう見事に一致していなかったからだ。
昔から私のブログを読んでくれている方は心配してくれた。あの方の動向により、俊介はどうなるのか。そう名前を付けた親たちもまたマリノスから離れて行くのか。
結論から言うと、私たちはマリサポのままだった。だがひずみが生じた。特に妻だった。私と息子は、俊輔がいるからマリノスが好きなわけではなく、気付いたときにはもうトリコロールが好きだったのだ。でも妻はもう少し俊輔依存度が高かったのだ。

彼女の名誉?のために言っておくと、全然ジュビロを応援していたわけではない。でももし今季よりも早くジュビロがJ2に降格していたとしたら、俊輔の責任は強く問われていたであろう。そうならないことをただ念じていたようだ。

息子の方は、マリノス愛が薄れたわけではないものの自分自身のサッカーが忙しくなってきた。練習試合の送迎のため、私自身がホームの試合を欠席したことも一度や二度ではない。

ネンチケホルダーは私だけになっていた。第二子も生まれ、マリノス を家族揃って観戦することは特別なことになっていた。

2019年の我が家で起きていたこと

私がスタジアムで観戦したのは20試合らしい。ホームゲームは14試合でネンチケの「採算」という意味では達成できている水準である。

開幕。大阪出張を手繰り寄せた運の強さで、金曜に仕事が終わったものの延泊を勝ち取り、土曜の朝はひとりで吹田にいた。前年は、私が一人で観戦すると負けるジンクスが囁かれていたのだが、そうではない。単にチームの成績が悪かっただけだ。

今年少し風向きが変わったのは、仮にホームゲームの日に俊介の練習試合がバッティングしても、下の息子がついてくるようになった。パパは甘いので、スマホゲームを与え、かき氷なども大盛りで勝ってあげてしまう。なお彼は試合は見ない(笑)が、最近変わりつつある。数字や都道府県の名前は、Jリーグで覚えてきている。我が家では6年前とまったく同じ過程で、基礎的学習はすべてJリーグが教えてくれる。

そこに、あの方が横浜に移籍してきた。子供を預かり、妻を一人で三ツ沢に行かせたことも2試合ほどあった。久々にプレーを生で見れた喜びと、もう一つ発見があったらしい。

それは試合の面白さがマリノスの方が全然上であり、同じスタジアムで主催試合をしてもクラブの格のような雰囲気が全然違うのだと。

チームは快進撃。ちょっとだけブログにも気合が入ってきた。

ラスト2試合の幸運

語り継がれるであろう等々力での勝利で王手。そして語り継ぐまでもなくクラブ史に輝く最終節の直接対決、「日産ソールドアウト」の世紀の一戦。

幸運なことに、どちらも家族揃ってスタジアムで見届けることができた。

チケットが入手でき、俊介の試合や練習もなく、誰も体調を崩すことなく。簡単なことではないと思う。

ただ川崎戦の前に指折り試合日を数えては、目眩や動動悸に悩んでいたのは私だけであり、優勝に王手をかけてからも何も手がつかなくなったのも私だけである。

2019年、少なくともラストは、我が家のど真ん中にマリノスが帰ってきたと思っている。それが私には嬉しかった。

2週連続優勝なる

12月15日、ある学校のグラウンドで区大会の準決勝が行われた。俊介のチームは準決勝を2-1、決勝を3-0とライバルに競り勝ち、見事に優勝を果たす。我が家にとっては2週連続の優勝であり、その優勝の瞬間を、彼はグランドの中で迎えた。

というと、聞こえはいいだろうが、実態は違う。
残念ながらスタメンで出ることはかなわず、点差が開いたがゆえに、いわばお情けで出してもらった選手が何人かいる。彼もその中の一人だった。準決勝は僅差だったので、出番が来なかった。

とはいえ、まったく出られない子もいる。厳しい。その意味で出させてもらうだけ、がんばっているとも言える。「次はちゃんとチームの勝利に貢献したいな」優勝の喜びを少しだけ味わいつつ、彼の発した言葉は本物か。大津祐樹たちのマインドが少しでも伝わったなら嬉しい。

体がデカいというだけでDFだったはずが、中盤だったコーチにパスセンスを買われて中盤の真ん中をつとめるようになった。が、同じポジションにはJ下部のセレクションに受かるレベルのライバルも。正直、俊介には厳しい1年だった。

明日からは鹿島へ泊まりがけの遠征で試合がある。関東レベルの強豪がゴロゴロいて、そもそも試合に出られるか分からない。が、泊まりがけだ。夕方には天皇杯の鹿島戦も見るのだそうだ。来年につながる経験を積んできてほしい。

ちょっとだけ妻と家族に捧ぐ。何を?笑

つまるところ、マリノスが優勝して嬉しい。そのことに勝る事実はない。優勝って最高だ。川崎サポってこんな思いを2年連続でしてたんだな。

けれども優勝がすべてではない。そのことよりも、普通にスタジアムで試合を観られること、子供連れでも安全や治安に注意を払わなくていいこと。全試合リアルタイムでも見逃しでも画面で見られる環境。
試合だけではないグルメやイベントなどの楽しさ。

あらゆることが幸せだ?
それも優勝したから言えることだというのは大いなる矛盾である。

この喜びを妻に捧げたい。明日、誕生日を迎える妻に。何を捧げるんだっけ。明日は出るかどうか分からない息子の試合にノコノコついて行って、夜はパパ友とドンチャン騒ぎするだけなのに。

あの時、君が「じゃあマリサポになっちゃえば」と言った一言から、「そんな好きならブログに書いちゃえば」と言った一言から、この幸せは始まって、今につながっている。幸せをくれてありがとうと言いたい。

家族に共通の趣味と話題をもたらしてくれて、一つになれて、とても楽しい。

「栗原家は最高だ」と引退スピーチで言ってたけれども、うちもなかなか最高だよな。この言葉を妻に捧ぐ。



特別な一年だったからこそ、大切な人、仲間、友人と、当たり前のことを振り返る時間を取ってみるといいかもしれない。

最高。幸せ。ありがとう。おめでとう。もっと頑張ろう。