もうさ、雨後の筍かっつーくらい出てくる、出てくる。文筆系マリサポの「やれることやれ魂」なのかしら。
すると、いろんな角度から出てくる、出てくる。前節レビューからの瓦斯戦プレビューはもちろんのこと、初心者向けの応援歌講座、持ち物リスト、スタグル入門。
もうさ、シャーレブログとか巷で言われてるじゃん(言われてない)、だからキーボーが掲げる予定のシャーレの材質とか重さについて調べようかなとか、迷走確定。
あと、サポーターになったきっかけ、マイファーストゲームとか、書きたくてウズウズしてるところもあるんすけど、なんか今じゃないかなみたいなところも自分であったりして。意識高くてウザいわー、自分、ウザいわー。
で、なんとか独自のアングルで書きたいなと考え、思いついたのが歴史ジャンルだった。しばしお付き合いください。多分17歳くらいのJKとかは、前世の記憶でしかない話がいっぱい出てくるぜ…。
1995年の横浜マリノス初優勝
歴史的に言えば、「横浜マリノス」としては最初で最後の優勝であった。サントリーステージ26試合、NICOSシリーズ26試合の計52試合のリーグ戦を戦うという過酷さは、今では想像がつかない。
Jリーグ開幕3年目、ここまで優勝争いに絡めなかった名門マリノスが、初めてステージ制覇を果たす。サントリーはザ・プレミアムモルツを通じて、今もマリノスのスポンサーを続けてくれているがこの時もご縁がある。なおヴェルディ川崎が絶対的な強さを誇っていたセカンドステージのスポンサーだったNICOSは、今では三菱UFJニコスという社名になっており、まるで盛者必衰のことわりを表している。
2019年のマリノスと言えば、ブラジル人選手たちが柱になっているが、当時はアルゼンチン🇦🇷であった。監督はホルヘ・ソラリで、元代表で10を背負ったダビド・ビスコンティが27得点。94年アメリカW杯代表だったメディナベージョが21得点。さらに現役代表のグスタボ・サパタが中盤に君臨。
さらに新人王を受賞する川口能活のデビュー年。すなわちシゲさんこと、松永成立のマリノス最終年。新守護神の1学年下の松田直樹が高卒ルーキーながらレギュラーとなった年でもある。
そして迎えたチャンピオンシップ。監督は早野宏史に変わっていた。若年層にはただのダジャレおじさんだったり、はやや乙でしか知らないかもしれないが、マリノス優勝監督といえば、はややである。井原正巳のゴールで緒戦を1-0、2戦目もビスコンティが決めて1-0。ついに讀賣王朝に終止符を打ったのだ。
なおベストイレブンに3年連続で選ばれたのは井原と、スイカップじゃない方の柱谷哲二(いやーネタが古い)。MVPはピクシーことドラガン・ストイコビッチである。選出理由は、クリアボールを革靴でいとも簡単にマリノスのゴールに叩き込んだことである(違)
GK 川口(20)
DF 井原(28)、小村(26)、松田(18)
MF サパタ(28)、遠藤彰(20)、ビスコンティ(27)、野田(26)、鈴木正治(25)
FW メディナベージョ(29)、山田(23)
2003年の完全優勝
1stステージと2ndステージの両ステージ制覇を完全優勝と呼んだ。前年の磐田に続いて、マリノスが達成し、2年連続でチャンピオンシップが開催されなかったことが、10年のち、2ステージ制復活の際に、絶対チャンピオンシップ開催するマンの台頭を呼び、年間勝ち点3位のチームが下剋上するアホみたいなルールが出来上がった。
93年に開幕したJリーグにとって11年め。にも関わらず95年のマリノス優勝以降、わずか2チームだけが優勝を分け合っていた。鹿島アントラーズ4回、ジュビロ磐田3回。J草創期の2強がV川崎と横浜Mなら、この時代は鹿島と磐田の時代であった。マリノスはこの間に、横浜F・マリノスになっていた。
元日本代表監督の岡田武史を招聘した2003年のマリノスは、前年に中澤佑二や奥大介など日本代表クラスを続々と補強し、さらにこの年にマルキーニョス、久保竜彦、柳想鐵らが加わり、豪華メンバーという時代だった。那須大亮、佐藤由紀彦、ドゥトラ、波戸康広、高卒2年めの栗原勇蔵。
歴史的には、最終節の大逆転優勝があまりにも有名。3位のマリノスは、首位・磐田をホームに迎えて、開始早々に若き榎本哲也の暴力行為で10人の戦いを強いられる。そこからマルキ、久保のゴールで大逆転勝利。ピッチで他会場の様子を見守ると、まさかの展開でマリノスが逆転優勝、しかも両ステージ制覇という偉業達成だった。
だが戦績的に強さを誇ったのは、1stステージの方で、15戦を10勝3分2敗の勝点32。この成績でも僅差なのでやはり1ステージ制は恐ろしい。なお、豪華メンバーと言ったが、世界最強の右サイドバックの呼び声高かったブラジル代表のカフーが加入するはずだったのもこの年である。
昨今、イニエスタを筆頭に神戸で噂された大物は本当に来てしまうが、獲得の噂レベルでマリサポが踊らないのはこの時の苦い経験があるとか、ないとか。なお「カフーを待ちわびて」はこの年の、新語・流行語大賞を受賞していない。
この年は年間最多勝点を記録しているが、95年と、後述の04年はいずれも他チームにその座を譲っている。つまり2019年は、16年ぶり2度めの年間最多勝点となる見込である。
やはりその年に一番強かったと言われるのは勝点で競うべきかなと、1ステージ制が当然になった今では自然に思う。
堅守と個性のミックス。岡田監督が苦心して作り上げたこのチームはマリノス史上最強、いやJリーグ史上でも屈指と言われるほどであった。
GK 榎本哲(20)
DF 中澤(25)、松田(26)、河合(25)
MF 佐藤(27)、遠藤彰(28)、那須(22)、ドゥトラ(30)、奥(27)
FW マルキーニョス(27)、久保(27)
連覇達成の2004年
なにが羨ましいって、アウェイの埼スタでチャンピオンシップ、しかもPK戦までを熱く見守ったサポーター。20年後も、50年後も、この時のことを知る人が皆この世を去ってもクラブ史に残る激闘であった。これ以上のドラマは今後起こるのかな。
ディフェンディングチャンピオンとなったマリノスは、さらに韓国代表の安貞桓を加えて盤石かと思われた。だが2節でイビチャオシム率いる市原に0-3と完敗するなど、開幕で完全に出遅れた。
それでも底力を発揮し、そこから連勝街道で終わってみれば前年の1stを上回る勝点36、わずか1敗だった。これで3ステージ連続制覇という不滅の記録を打ち立てる。
結果から言えば、これは前年までの貯金を使った形であった。2ndステージは、23ポイントの6位。時代はマリノスから、37ポイント(!)の浦和に移りつつあった。
チャンピオンシップ。下馬評は浦和有利。
それでもホームの第1戦を河合竜二の恩返しゴールで制すると、第2戦はいぶし銀の中西永輔が退場という苦しい展開。浦和の猛攻を1点に抑え、延長戦もなんとかしのぐ。
PK戦で、覇権交代の前に立ちはだかるは榎本達也。闘莉王、長谷部という後のW杯戦士のキックをストップし、最後はドゥトラが冷静に決めて、マリノスが連覇達成。怪我人が続出した影響もあって、マリノスの2トップにはジローさんこと、清水範久とサカティー坂田大輔。
後年、坂田とともに福岡でプレーしたのが仲川輝人だ。彼の大ブレイクを喜んでいる一人だろう。
このようにマリノスの歴史は深いところで、今も繋がっている。
チャンピオンシップ第2戦の先発
GK 榎本達(25)
DF 中澤(26)、松田(27)、河合(26)
MF 田中隼(22)、上野(31)、中西(31)、ドゥトラ(31)、奥(28)
FW 清水(28)、坂田(21)
そして個人的に思い入れのある2013年34節のメンバーも記しておきたい。
GK 榎本哲(30)
DF 小林(28)、栗原(30)、中澤(35)、ドゥトラ(39)
MF 中町(28)、富澤(31)、兵藤(28)、中村(35)、齋藤(23)
FW マルキーニョス(37)
さあ、取ろう。2019年、4つめの☆
2013年12月7日に置き忘れてしまった4つめの☆。リーグタイトルの無念は、リーグタイトルでしか晴らせない。天皇杯を取った後の、当時のキャプテン中村俊輔は言った。
まさにその時が来た。
古きを温め、新しきを知る。
当時のことを、まるでリアルタイムで見ていない私が振り返るのはあまりにも薄っぺらい。それは書く前から分かっていた。
でもこの先も、☆を重ねるたびに、こうした歴史は絶対に知っておくべきだ。正史以外にも、歴史の解釈は人それぞれでいい。
2019年のマリノスを見続けた人も、明日初めて見る人も、偉大なる歴史の一部である。私たちは新たな歴史の証人となる。
今このタイミングだから、過去にも今一度心に留めておきたい何かがある気がしている。
少なくとも私は、過去に思いを馳せ、厳かな気持ちで決戦を迎えることができる。
2019年12月7日、このクラブの選手たちが星3つのユニフォームを着用する最後の試合になると、信じている。
胸に何気なく付けられた星はとてつもなく重い。「この胸の誇りを見せつける」という言葉を唱えるだけで泣きそうになる。
つかもう。4つめの星を。この胸に永遠に刻むのだ。