マリノスにシャーレを 2024

横浜F・マリノスのスポンサーを目指して脱サラした頭のおかしい3級審判のブログです

2013年の喜田拓也

今年、マリノスが優勝したら、年間最優秀選手賞は誰のものになるだろうか。マルコス・ジュニオールや仲川輝人の得点王とのダブル受賞もあり得るが、天性のキャプテン、喜田拓也を推す声も多いことだろう。私は喜田に一票を投じたい。投票権ないけど。

 

広島戦で今季通算4枚目の警告を受けたため、この緊張感ある優勝争いの中、ユアスタの仙台戦でキーボーは出場停止となる。不動のキャプテンであり、マリノス躍進の喜ーマンを欠くことが決まっている。あの時、喜田が警告処分ならば、広島の青山は少なくとも4〜5枚の警告を受けていたはずだ!という話はひとまず別件である。

f:id:f-schale:20190918231554j:plain

撮影:@12_tricolore ニッパツ三ツ沢球技場、広島戦勝利後。表情に充実感と自覚が漲っている。

俺たちの喜田拓也。キーボーの体内にはトリコロールの血液が流れていて、マリノスの成長は喜田の成長であり、喜田の躍進はマリノスの躍進である。正真正銘のバンディエラとなったと評しても過言ではあるまい。

 

1994年生まれのサッカー選手。出世頭は、FCポルトで守備を怠りピッチ上で監督に怒鳴られたことが話題の中島翔哉だろう。流浪の浅野拓磨、 植田直通、豊川雄太らが同期。マリノスなら、高野遼と同学年なのは有名な話だが、名古屋で活躍する前田直輝も同い年だった。他には、エリキとマテウスとは意外(笑)。

 

この夏、彼は25歳になった。気がつけばチームで2番目の古参選手となっていた。まりびとのような語り口だけど、在籍7年目。とはいえそれはトップチームだけの話であり、小学生時代からマリノス一筋。

 

ちなみに1位の栗原勇蔵は2002年から18年目。長年2位だった飯倉大樹は06年からで途中、レンタルでチームを一年離れていた。飯倉が神戸へと移籍したこの夏、繰り上がりで2番目となった喜田拓也は2013年の高卒ルーキーだ。

 

そのあとは15年の新卒入団ながらレンタル移籍を経験した仲川輝人を除くと、遠藤渓太の2017年から在籍というのが次いで「古参」ということになってしまう。あまりにも目まぐるしく入れ替わった。外国籍選手ならともかく、中村俊輔、中澤佑二というサッカーファンでない日本人でも知っているレベルの選手までもが相次いで抜けた。

 

今やサポーターが求める新しいリーダー、新しい象徴の役割を喜田が果たしつつあるのは、誰もが納得することだろう。それも押し上げられたとか、新10番の天野純が移籍したから仕方なくとかではなく、ごく自然な流れだったように思う。

 

彼を現在の喜田拓也たらしめたものは、なんだったのだろうか。身長という面では不利だ。スピードはあるけれど、びっくりするほどの長所ではない。キーボーもアンダー世代の代表にも選ばれた存在ではあったけれど、1歳上には同じポジションの熊谷アンドリューという大型選手がいた。

 

デビューの2013年は、折しも優勝争いのど真ん中にいた。中盤と言えば、中村俊輔、富澤清太郎、中町公祐が絶対的存在で、その他のポジションにも実力者が揃っていた。

喜田の公式戦出場はゼロ、である。

f:id:f-schale:20190919073258j:image

マンUとの親善試合くらいしかユニフォーム姿は残っていない。当時の樋口靖洋監督が、メンバーを固定化していたことを差し引いても、当時の喜田は紅白戦でもメンバー外だったというから、厳しいルーキーイヤーだった。

 

デビューしたての頃のインタビューを見ても、今当時を振り返る彼のコメントを見ても「謙虚さ」は少しも変わっていないと感じる。ここでの謙虚の対義語は、油断、傲慢、不遜、満足といったところか。それとはまったく無縁である。そこが凄いところ。

あの時、あの年、悔しかった。試合に出ることを諦めていたわけでもなく、決して手を抜くこともなかった。それがどれだけ難しいことか。

前年に2種登録され、トップチームに合流した際に試合で感じたものは「サッカーに懸ける気持ちの違い」だったと言う。

 

15年以降、エリク・モンバエルツ監督のもとで出場機会を掴み始めたが、最初は私も懐疑的だった。まだ期待枠を出ていなかった。他チームにレンタル移籍させて経験を積ませてはという意見もまだまだ多かった。喜田の凄さは、その課題と向き合って、日々改善できるところだろう。持ち味である対人の守備も改善した。一昔前なら、キーボーは守備の人だったし、周りの選手に安易に(見える)預けてしまうプレーも散見された。

 

が、今や畠中槙之輔やチアゴ・マルチンスからの縦パスを受ける時の、身体の向きは教科書に取り上げられてもなんら不思議ではないし、前を向くターンの技術と、その先を読むプレーはマリノスの攻撃の生命線になっている。

「.とてつもない身体能力」などではなく、頭を使って、フルに体を使って、仲間を鼓舞して。

 

だからだろうか。疲労困憊のはずなのに、冒頭の写真のように、試合後のキーボーの顔は穏やかな仏のようで、安心感と成長の手応えをもたらしてくれる。

 

結びに、2015年時のインタビューから少し拝借したい。将来どんな選手になりたいか?という質問に対する21歳の答えだ。

 

とにかく、“必要”とされる選手になりたいです。監督、チームメイトからはもちろん、見ているファン・サポーターからも必要だと思ってもらえる選手になりたい。「やっぱり喜田がいないとダメだ」。そんな存在になれれば最高です。

 

J1 124試合出場。毎試合が決勝のようなリーグ戦で欠場を余儀なくされる今、喜田がいないのは困る、正念場だと言われるようになった。

 

自身が2013年に試合に出られなかった時に、勝つ時も、負ける時もチームは1つだと学んだ。試合に出られない選手の振る舞いも大切だと。だから2013年すら無駄ではなかったと言い切れる。

 

「喜田がいないとダメ」では困る。でも試合に出られないことが確定した以上、次節に向けての10日は、練習の段階からいつもと違う役回りを買って出るのだろう。その存在と醸し出す雰囲気こそが、今のマリノスの原動力だと思う。

 

マリノスの系譜を受け継ぐ。俺も自分のことを日々一生懸命にやらなくちゃな。