ポドルスキが神戸に来るそうだ。未明から、トルコのメディアなどが、ガラタサライとの契約を解除し、すでに合意している神戸に向かうと報じている。神戸といえば、昨季得点王のレアンドロが長期離脱したばかりで、ドイツの大物の来日は1日も早くというところだろう。それにしても、あの監督とは上手く折り合うのだろうか。
一夜にして、いろいろ変わる。選手の所属や、監督の首や、チームそのものも。リーグ開幕戦でマリノスが下した浦和は、ACLではまたも大量の5得点を挙げた。逆転負けのショックは一夜にしてだいぶ払拭されたろう。
変わらないものなんて、本当にあるだろうか。
我が家の長男、俊介の名は、中村俊輔から取った。両親の影響を受けて、当然のように俊介は俊輔を敬愛した。これまで買ったユニは全てSHUNSUKEだ。
このオフの移籍を受けて、これまで一丸となって中村俊輔率いる横浜F・マリノスを応援していた我が家に少し異変が起きた。即ち、私たちが応援していたのは、マリノスだったのか、俊輔だったのかというテーマだ。
私自身はマリノスという答えを出した。妻はまだ少し迷っている。マリノスが今も好きという気持ちに変わりはない。だけれども俊輔のいないマリノスはこれまでと意味が違うようだ。その気持ちは理解できる。
第3節、対鹿島。あちらのACLの都合により金曜夜にカシマ開催だ。我が家にとっては現地応援は無理ゲーである。翌日の土曜日に当然、マリノスの試合がないことも手伝って、我が家はナクスタに行く決定をした。大宮対磐田で、久々に俊輔を見る。
私自身のことで言えば、俊輔のプレーにはノスタルジーとともに、今もドキドキ感を感じるはずだ。俊輔に対する気持ちに対してひとつの整理がつくかもしれない。俊輔という存在は、スパッと忘れるにはあまりにも偉大すぎる。
そもそも、磐田戦を観に行くなんて気がしれない!という読者の方もいるだろう。私自身も、この試合後はそう思うのかもしれない。だって、俊輔が活躍したとしても、それはマリノスのためではない、という事実を知るだけかもしれないから。
実は息子のサッカー教室の友人で、一歳上のクラスにもシュンスケ君がいる。こないだ行われた教室内同士で対戦する身内の大会では、彼のチームが優勝した。普通は立っているだけのキーパーが多い中、彼だけは勇敢に前に飛び出して、身体を張ってプレーする異質の存在だった。パントキックが正確で、彼がボールを拾うと途端にFWたちが相手ゴール前に走って、チャンスを作る。その戦術の中心にいたのがシュンスケだった。
彼もまた、我が家と同じ理由で名付けられたそうで、一家マリサポである。いや、だったという方が正しいらしい。
シュンスケとその家族は、今季から磐田を応援するらしい。中村俊輔の応援を続けるというのが正しいか。多分、私には彼らの、彼らには私の、胸の奥の気持ちは理解はできるが、納得はできない。
どちらが正しいということは、ない。おそらくこの記事の読者の方は、私の考えを支持する方のほうが多いだろう。でも、それだけのことだ。
うちの俊介は、マリノスを選んだ。もちろん両親が揃って、磐田支持を打ち出していたら違っていただろう。今は、開幕節で買えなかった、新しいユニフォームを買うことで頭がいっぱいである。そろそろ子供用のオーセンティックを買ってやろうかとも思うのだが、とにかく食べ散らかしや、サッカーで徹底的に汚すので、今年もプレーヤーTシャツだ。
番号は10に決めたそうである。父は、バブンスキーも勧めたいのだが。
一致していた好きなクラブと、好きな選手が離れてしまうと、いろんな雑念が湧いてくることをこのオフに知った。多分、また一段、サポーターの階段を登ったのだ。
「この気持ちは一生変わらない」だなんて簡単には思わない。
けれども、結果的には私のマリノスを思う気持ちは、前よりも強くなっていた。実に不思議で皮肉なことだ。迷いや戸惑いの先には、強い覚悟が生まれるということは、齋藤学が身をもって示してくれた通り。そういうことなのかもしれない。
でも、我が家はナクスタにも行ってみる笑。
ただその結果、妻や息子もひっくるめて、去年よりマリノスを応援する幸せ、家族の一体感を感じられることになると私は信じている。
あの開幕戦のような感動を、今年もたくさん味わいたい。私はマリノスを応援していてよかった。
そして、これからも。