数年前にドラマ化もされて話題になった「テセウスの船」というパラドクスがある。
ギリシャ神話の英雄テセウスが怪物の退治に使った船を保管して、時間が経つうちに船の部品が劣化され交換を繰り返し、最終的に全ての部品が新しいものに置き換わる。
ところで、この船は元のテセウスの船と同じと言えるのかという話題。
テーマを一言でいうと、同一性である。
マリノスは、果たしてマリノスなのか? このテセウスの船の話を初めて聞いたときにピンとこなかったのは、歴史あるサッカークラブなんてコロコロ選手やスタッフが入れ代わるし、なんなら100年を超える海外クラブなんて、何世代も替わっているわけだ。でも、FCバルセロナは、創立時と同じか?なんて議論はしない。
マリノスも1972年から数えれば、50年超。もう同じなわけがないのだけれど、マリノスである。ま、日産自動車から変わったし、F・マリノスなわけだけれども。いや、だからFがついた経緯のように、本当になくなってしまえばそれはもう同じ船じゃないのだけれども、マリノスはマリノスだ。
アタッキングフットボールは、和訳すると超攻撃的サッカーとダサくなる。この数年で、もう見る影もなくなったし、2022年のオフェンスを知る最後の一人と言っていいヤンマテウスがチームを去ったら、同一性という点ではどうなんだろう?
と少し不安になりながらピッチに目をやると、在籍13年目の偉大なるキャプテンがなりふり構わずに、相対する現・日本代表のスピードとターンを封じようとしている。このキャプテンこと、喜田拓也がこの日31歳になった。浮き沈みのあるこの13年、二度のリーグタイトルを刻みながら、クラブ史上最悪の屈辱さえも視界に薄っすらとは入っている。
でもマリノスはマリノスだ。俺がマリノスであり、マリノスは俺だと、彼は言わないけれど、それを言っても許されるだけの眼差しと汗がある。口だけではない。想いとは、常に重いのだ。猛暑で動きは重かったよね。ジャンクルードと山根陸を入れないのと、外野は思ったよね。でも入れさせないだけの何かがある。山村和也が入ったのは、相手の脳振とう交代で1枠増えたから、サヨナラヘッドを狙っただけ。ほぼフル出場さ。
前日には浦和の守護神がJ1の650試合出場を記録したという。バンディエラの存在は明らかに減少傾向にあるが、やはりその選手がいれば同一性は、わかりやすく保たれやすい。もちろん同一性が保たれることがいいかどうかの議論は別として。
町田にも中島裕希という在籍10年の選手がいる。40歳を超えてJ1に在籍し続けていること自体がもうヤバいが、今年は試合に絡んでいない。彼の存在そのものはさておき、大胆に血を入れ替え続けてきたし、エウベルがいきなり引っこ抜かれちゃうのと同じように、ネタラヴィさえ引っこ抜いてしまうその胆力。いつだったか昇格を争う最中のバスケスバイロンをライバルヴェルディから奪ったと思えばあまり使われることもなく下のディビジョンへ放流していた。いや、もう振る舞いが少し前の神戸。だがそのスピード、急成長感は当時の神戸をはるかに上回る。町田は、同じ船であることを拒否しているようにも見える。見えるだけかもだけどね。
上位を相手にスコアレスドロー。なんとかしのいで貴重な勝点1。気持ちを見せて戦った。最後まで相手にやらせなかった。ようやくマリノスの形ができてきた。やった、17位浮上。
…どれも否定しない。けど、それって本当にマリノスなの。いや、ホームなんだけど。相手のほうがつかれるのは当たり前の試合間隔なんだけど。降格圏の熱湯に肩まで浸かっているうちに感覚がおかしくなっているんじゃないの。
日程面が不利だったにもかかわらず最後までよくやったという趣旨で黒田剛が口を開けば、過密日程なんてこんなもんじゃないよとおかしなマウントも見られる。発揮するプライドはそこじゃないだろ。
この船、本当に同じ船なのか。大丈夫なのかと思っていたら、喜田拓也がこう締めくくっていた。
「入れ替わりがあった。長く貢献した選手が抜けたけれど、それぞれが大きなものをマリノスに残してくれました。そこへのリスペクトや功績は変わらない。感謝も変わらないから、快く送り出した。一方で来てくれた選手もいる。腹をくくってあと11試合、毎試合決勝戦だと思って臨む。マリノスのために全てを懸けて」
疑ってごめんなさい。少なくとも彼がいる限りは、この船は沈まない。