横浜に生まれ、マリノスとともに育ち、マリノスから日本代表にも選ばれ、惜しまれつつもマリノスの選手のまま現役を引退するという決断。
元日本代表DF・栗原勇蔵、36歳。ちょうど人生の半分、18年間をマリノスでプロサッカー選手として過ごした。
J1通算316試合出場は、中澤佑二510試合、松田直樹385試合、中村俊輔338試合に次ぐクラブ歴代4位の記録。現所属選手の中で、前回のリーグ優勝を知る唯一の選手であり、マリノス一筋で現役生活にピリオドを打つ。チームが今、15年ぶり4度目の優勝を成し遂げようというまさにこの時。最良のタイミングであったのではないだろうか。
堅守の象徴だった中澤佑二との屈強コンビ
2人のセンターバックが担う、守備の中心に栗原勇蔵はいた。彼がレギュラーに君臨していたのは、2006年から14年までだったと言える。横には常に中澤佑二の姿があった。日本を代表する屈強なセンターバック、それも2人並んで。空中戦で負ける気はしなかったし、攻撃時には俊輔のキックが加わるのだからやはり明確なストロングポイントだった。
当たり負けない、やらせない、撃たせない、前を向かせない。相手FWからすると、「真ん中は無理」だっただろう。でもサイドから入れても制空権はボンバーと勇蔵。
例えば興梠のような日本を代表するレベルのストライカーがマリノス戦ではなかなか得点をあげられなかったりする。駆け引きと動き出し、正確性。そういう正統派に栗原中澤コンビは滅法強く、大迫のようなスピードも兼ね備えた選手にはあっさりやられることもあった。そんな分かり易さも、最強センターバックコンビの魅力だった。
W杯を決めた男
日本代表としては20試合に出場。なかでも勇蔵を有名にしたのは、W杯アジア最終予選の豪州戦であった。
12年6月、失点の危機を救ったかと思えば、値千金のゴールをあげ、さらには後半終了間際に2枚目の警告を受けて退場。完全に主役であった。
翌年のホームの豪州戦でもピッチに立ち、W杯ブラジル大会本戦への出場を決めた瞬間をピッチの中で迎えた。本戦のメンバーには入れなかったが、森重台頭の前、J最強CBに君臨していた頃の話だ。
代名詞はマリノス愛、誇り
マリノスでのベストをあげるのは、いろんな場面がありすぎるが、今日は一つだけ思い出を。
2014年J1リーグ、アウェイでの仙台戦。
先制ゴールを挙げた勇蔵のこの打点の高さっ!!
フィジカルッ!筋肉は正義っ!!破壊的!
このゴール、結構脳裏に焼き付いている。
プレーをゆっくり振り返るのは後でもできるとして、やはり人間味というか、この人はサッカー選手である前に、愛の人であるという話をしたい。
昨朝の引退発表とともに、勇蔵と時間ともに過ごした選手、先輩後輩からのものすごい量のメッセージがSNSにも掲載された。
誰もが、彼の人間性に触れている。豪快で、やんちゃで、優しくて、漢の中の漢。とても書き切れないが、ほぼみんながそう言っている。
なぜ言われるかと言えば、勇蔵が愛でできているからではないか。
サッカーよりもマリノスの方が好き
世界一の幸せ者
自分の後継者は喜田拓也
自分にとっては家族、家族のために頑張る
生まれ変わってもマリノスの選手でいたい
ちょっと何言ってるかわからねーと言う人もいるだろう。
愛の深さは無限であり、好きなものを好きと言い続けられることは尊い。さらにそれを許されることはもっと尊い。
こちらの方こそありがとう。マリノスというクラブの退団選手に関する対応はいろいろあった。マリノスが変わっただけではなく、勇蔵の愛が(中町や喜田の存在も大きいはず)変えたのでは、と私は思う。
愛には愛で
どうしてもしんみりしてしまいがちだが、12月7日、大仕事が残っている。シャーレをこの手に握るための大事な大一番だ。FC東京戦、その試合後には、引退セレモニーが行われる。いろんな巡り合わせの中で偉大なるレジェンド達が行えなかったマリノスでの引退セレモニー。それも、自分たち次第では、優勝決定後というこの上ない環境で。
引退コメントの発表時に、世界一の幸せ者と自らを称した栗原勇蔵だが、「優勝を決めたホーム最終戦で約7万人の前で引退スピーチするバンディエラ」なんていないよ、聞いたことない。
栗原勇蔵はマリノスファミリーであり続ける。そのことが誇らしい。
お疲れ様でした、栄光の背番号4。最後の試合に向けて、最後の優勝に向けて。俺らの勇蔵の名前を、叫ぶよ。