誰が悪いというわけではない。こんな試合もあるさ。いや、前よりは良くなっている。次だ次。
と、いつまでも言うと思うなよ。
ワーストと思われた前節を、さらにぶっちぎって、週末の昼下がりに真夏のような暑さの中で、フラストレーションを溜める1万6千名。
マリノスは終わりのない閉塞感に絶望を味わい、仙台は攻めども攻めども、なぜか勝ち点1を確保するに止まったことを恨むのだった。いったい誰得の試合なのか。
伝統の守備をベースにして、攻撃を組み立てることのできる監督の招聘。それが2年半前に、フランスから送り込まれた指揮官の起用理由だったはず。縦に早い、裏を狙う、ボールを保持することにこだわらず何名かの連動でシンプルに。そうしたいくつかのフレーズは耳に残る。耳にタコができるほど、繰り返されたわけではないが、まあ印象には残ってる。
築き上げたかのような、攻撃の基礎工事は、砂上の楼閣だったのか。ツーバイフォーだろうが、鉄筋コンクリートだろうが、脳筋?モンバエルツだろうが、大事なのは地面だ。
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今、迷いの霧の中。選手コメントから読み解くに、やはり共通理解ができた気になっていたとしか、思えない。選手が考えてやるものとは言うが、これは目指すべきサッカーの具体イメージが欠けていたがゆえの結末ではないか。リーダーにビジョンが欠けているか、もしくはそのビジョンを伝え、浸透させる力の欠如ではないか。
監督を代えろと言っているのでは、断じてない。むしろ慌てて路線を変えるのはリスクの方が大きい。ただ、最終ラインと前線があれだけ間延びし、ビルドアップがぁぁって言うのは相互理解不足による機能不全と見るのが自然だろう。それは指揮官の責が大きいと見る。では、どうすれば?
話し合ってみてはどうだろうか。同じフランス人だからではあるまいが、15年前に独自の戦術を推し進めて、やがて立ち行かなくなったトルシエジャパンは選手たちの話し合いで特殊戦術、フラット3からの解脱を決めた。戦術というか、理論に縛られて、現実にフィットさせられないのは、真面目な選手の特徴かもしれない。
断言してもいい。マリノスの選手のクオリティは決して低くない。特に前田直輝、齋藤学、マルティノス、遠藤渓太らのスピードは出色だと思う。ウーゴ ヴィエイラも迷い人のようになってるが、ゴールの嗅覚はこんなものじゃない。ダビド バブンスキーのテクニックもだ。喜田拓也も、天野純も、本来の良さがまるで出せていない。
コンディションなのかなぁと私も思っていたが、自信のなさが表れてしまっているように思える。そして、たぶんたまたま勝ったとしても
真の自信は生まれるものではない。自分たちが意図したことがどのくらいできているか、そして結果が伴った時に、チームは自信を深めて逞しさを増すのである。だから今一度、やりたいことはコレだよねと話し合えばいい。すると、学くんやマルちゃんに預けることが目的じゃないよね。だよな、読まれまくってるから逆効果だよな。と、こんな低いレベルではなくとも、発見があるのでは。
宝くじのような、事故のような得点が前半のアディショナルタイムに生まれた。でも、基本はあっという間にボールを失い、主導権はほぼ一貫して仙台に。偶然のマークミスかもしれないが、失点そのものは必然だった。
あまりに無残な1-1。何が無残って楽しくなさそうなんだもん。焦って、もがいて、つまずいて。それだけでは見てる方も何か窮屈で退屈。そりゃお客さんも減るだろうさ。
だからまずは原点回帰。俺たちがやりたいサッカーとは。一人一人の役割と心がけとは。
そこからじゃないだろうか。