プロレベルであってもドリブルしていたボールが足から離れてしまうことはよくある。あぁ、無理して抜くから、次に待っているDFが口を開けて待っている。そっちに行っても苦しくなるだけなのに、狭いスペースへ追いやられるボールホルダー。
単にうまい人と、誰にも止められない人の差は、そこかもしれない。
プロと比べるのもアレだが、こないだ年長の息子の試合があった。レベルは断然違っても、同じことが起こる。
一つは自分のコントロール技術を越えてドリブルを仕掛けるから、相手の虚をつくよりも先に、自分がボールの制御を失ってしまう。たとえ一人は抜けたとしても、その次に構える相手には難なく取られてしまう。当たり前だが、ボールは足元から離してはならない。
もう一つは俯瞰する能力だろう。
なんとか息子に上手くなってほしいと、撮影したビデオを使って一緒に振り返った。すると、正面に相対するDFを左右のいずれかに振れば、抜くチャンスになる場面というのは結構出くわす。その場面で、うちのシュンスケが選んだのは度々、密集に入っていく選択肢だ。スペースが広い方、狭い方があるとほぼ半々の確率で狭い方角を選ぶのだ。何も見えていない。余裕がなさすぎる。
とはいえ、ビデオカメラで撮影している私と、ピッチ内でボールを持っているシチュエーションでは視野に差があるのは当たり前だ。どのくらい落ち着いていられるかは、どれくらい練習を重ねてきたかな因る部分が大きいと思う。
ドリブラーと言われる選手は多数いる。マリノスで言えば、前田直輝、マルティノス、遠藤渓太辺りの顔が思い浮かぶだろう。
齋藤学が、彼らとの違うのは、視野が広いがゆえに抜くポイントを多く持っていることと、それから余裕があることではないだろうか。
愛媛時代の映像をじっくり見たのは、私は昨晩が初めてだった。2011年にJ2の守備陣を切り裂いていた以上のことが、2016年はJ1のレベルで出来ていた。
守備の人数は一見足りているのに、気づけば彼一人にやられているというシーンでは、必ず相手守備陣の一人が(それは学には直接相対してない選手だったりする)おいおい、何一人にやられてんだよと呆れ気味な表情を浮かべる。文字通り相手守備を無力化するのが彼のドリブルであり、特に昨年の映像を相手目線で見ると、アタッキングサードで学にボールを持たせてはならないと思う。
足の速さだけなら遠藤や永井謙佑のほうが上だろう。学の場合は、ボールの扱いが抜群にうまく、そして抜くタイミングの引き出しが人一倍多い。全速力でも、柔らかいタッチができるから、足から大きくボールが離れることがない。
学の平行移動がDFにとって恐怖なのは、そのためだ。いつシュートが飛んでくるか分からないから、DFは縦のコースを切る。学はそれを見透かしたように、さらに横にドリブルを進める。DFには焦りと迷いが生まれる。いつだ?いつシュートが来るのだ?
一瞬でも縦への意識が強まると、学に置いていかれてしまう。そしてコースが出来たところで、ズドン。
スピードだけで抜いていたルーキーから愛媛時代と昨年ではそこが違う。大黒将志の打ったシュートのこぼれ玉に素早く反応する学。グイグイスピードに乗って、GKまでかわしてからシュートする学。1ゴールの価値は変わらないのだが、周りの力や勢い任せでのゴールが多かった。
だが2016の学は、一人で崩せるようになってしまった。あの2ゴール2アシストの甲府戦、直後に代表に旅立ったとき、誰もが納得していた。そこに加えて、天性の俯瞰力が加わるから、学は局面での選択肢を間違わない。
はっきり言えば、そんな覚醒した齋藤学と、2017年シーズンを共に戦うことは半ば諦めていた。海外へ行きたいのなら、26歳はほぼラストチャンス。送り出すしかないと、チームスタッフも思っていたことだろう。
そして今は練習生だが、やがて残留が発表されるはずだ。
今、私が最も楽しみなのは、学とはまた違う繊細なボールさばきを見せるバブンスキーとの競演だ。マルティノスとの快足両翼は、一時期のマリノスの大きな武器となったが、仮に慣れ親しんだ4−2−3−1のフォーメーションを取った際には
齋藤 バブ マル
が一列に並ぶ可能性はとても高い。
この3人なら、どんな堅牢な守備陣もキリキリ舞いさせることができるだろう。
学とバブンスキーのコンビネーションで、「学ンスキー」との見出しが躍る日もそう遠くないと予言しよう。
学の進化はすなわちマリノスの進化である。
バブとマリノスの調和は、すなわち新たなファンタジーの始まりである。
どうだ学。本当にわざわざ外国に居を移す必要があるだろうか。
チームメイトには、バルセロナ育ちも、ベオグラードの得点王もいるじゃないか。ポドルスキも…神戸に来るのかしらん。それに大好きな金井貢史だって隣にいる。
昨年、等々力で負けたとき、泣きじゃくる学の姿を見た。天皇杯に敗退したときもだ。
もう学の涙はいらない。次に泣くときは、銀皿をさらったときにしようぜ。