今年もマリノスにシャーレを 2020

シャーレを掲げることは難しく、守ることはさらに難しい。連覇に挑む2020年、アウトサイダーではなく本命として、今年もシャーレを掲げよう。座右の銘はシャーレです。

あの文豪がJリーグ再開を待ちわびたら(その1)

巷では100日後に死ぬワニだか、100万回生きたワニだかがクライマックスを迎えようとしている。

JFAの田嶋会長が欧州だかで、もらいゲロいやコロナウィルスを伝染されたりすると、ああ、リーグ再開は遠くになりにけり、という感じもする。

センバツもねぇ、プロ野球もねぇ、欧州サッカーもねぇ、相撲も無観客。おら、そんなの嫌だ。一喜一憂どころか憂うつなニュースばかりが重なっていくけれど、嘆いていても仕方ないので、17日後のリーグ再開当日の様子を書いてみよう。

ちょっと前にヒットしたもし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたらをリスペクトして、ふざけてみよう。

 

第一回目は、かも上春樹。人選がいきなり、やれやれである。このシリーズは4月4日まで続くかもしれないし、あるいは続かないかもしれない。「ああ、きっとね」

村上春樹全作品 1979~1989〈1〉 風の歌を聴け;1973年のピンボール

 

1

「ねえ、本当に大丈夫なの」と彼女は聞いた。彼女と言っても名前も知らない。ただ今日この空間にウィルスを撒き散らす保菌者がいないと言えるのか、そう質問していることだけは分かった。

僕は溝の口駅からスタジアムに向かう直通バスのシートにいた。第三京浜道路を降りたら、いつものようにこっそりとシートベルトを外す。顔を覆ったマスクと、先行きの見えないコロナウィルス対策会議の平日を繰り返すだけで僕はもう十分に息苦しかった。昨夜の冷ややかな雨がシウマイ工場の壁を暗く染めて、その先の橋を渡るとお世辞にも見やすいとは言えない巨大なスタジアムがそびえ立っているのが見えて来る。シミズスポーツの誘導員たちや、強い風に揺られた選手のノボリや、見慣れた日産自動車の広告板。

花粉なのか、ウィルスなのか、社会には目に見えない敵が多すぎてうんざりする。彼女の質問には答えずに、やれやれとだけ僕は口に出していた。

 

2

完璧なハイラインなどといったものは存在しない。完璧な感染対策がないようにね。無観客試合を極度に恐れていた僕がHUB(中断期間中、サッカーの話がしたくなると僕はこうしてサッカー仲間と濃厚接触を繰り返した)で偶然知り合ったあるサポーターはこう言った。ただしその人はジェフサポだった。お前にだけは言われたくないと反射的に言い返しかけたが、前にアンフィールドで同じことを英語で言われて妙に納得したことを思い出した。それは非常に不公平で、いびつで、僕の奥底に棲む尊大な自尊心とあまりにも尊大な羞恥心を鏡に写した経験として赤ワインのオリのように溜まっている。

 

「つまりあなたはシティ兄さんをボコったリヴァプールに対する怖れがある」

「いいね。それから?」日産スタジアムのスタンドで僕は答えた。

「そんな最強のリヴァプールをアトレチコが屠ったのが痛快でたまらない。でも本当に強いのはレアル・マドリードの方。みんなが知っていることさ。それをシティ兄さんがやっつける。はい、これで振り出しよ。じゃあ誰が最強なのかってね」

「いや、シティは先勝しただけさ。180分終わらないで結果を語るのは、PCT検査に行け行けと騒ぐだけのやつらと変わらない。つまり、その、無責任だ」

 

じゃあ誰が最強なのか、君は知りたくないのかという反論を僕はさえぎるように首をすくめて見せた。キックオフは近い。

 

3

ゴールキーパーの練習開始に遅れること5分、喜田拓也を先頭に選手が入ってきた。7万人収容のスタンドは、楕円球のW杯のような超満員とは行かないが、十分に濃厚接触と呼べる距離で隣の「オナー!!オナーー!!」と絶叫しているおじさんの唾は飛散していることだろう。

開幕から既に1ヶ月以上が経過しているというのに、まるで初めて夜を共にするかのように僕はその朝、チャンピオンユニフォームに袖を通す時、相応な緊張感を持って大切に扱った。皆、同じ色を着ている。あるいは前の晩からユニフォームを着込んで眠った輩もいるに違いない。眠れなかったやつもいる。違うゲートから入った彼らは紅装束だ。巨大な自動車会社を母体にして来たことや、新幹線のぞみでいえばたった一駅の距離など彼らとの共通点はいくつかある。たぶん好きか嫌いかともしも聞かれたら、どちらでもないと答えるだろう。それは本当のことだ。

だけれど、サッカーは相手がいなければ成り立たない。そのことを僕らは痛いほど再認識した。まずはみんなが健康でいなきゃ何もできない。相手チームのことをバカだとか言う奴に「お前がバカだ」と伝えることすらバカバカしいので、今日はみんなで25メートルプール一杯分のビールを飲んでやろう。お祝いだ、免疫だって、きっと逆に高まってしまうさ。

フットボールがこれから右に左に動き出す前に、一通り愛する選手たちの名を叫び、喉のウォーミングアップは終わる。久々の手拍子を終えた両の手のひらに消毒ティッシュで清めてしまうのは、2019年までの僕にはないルーティンだった。

 

4

サッカーは勝敗がつく。そして、つかないこともある。僕たちのチームはアグレッシブで、反応が鋭くて、それでいてパワフルだった。大声でその背中を押すと、月まで飛んでしまいそうだった。

僕らの居るサイドと逆側のゴールネットが揺れたから、あれは前半のことだったと思う。残念ながら遠い側の場合、得点者を特定することは難しい。マルコスだったのか、仲川輝人か、エリキもゴール前に殺到していたからまるで分からなかった。でも今そこに居られる幸運に比べたらあまりにも些細なことだった。オーレ!オレオレオレ!と歌っている途中にマルコ〜ス? テ〜ル〜?と変化したって構いやしない。飲み過ぎた僕らの歌なんて、この熱狂がかき消してくれる。

来週の試合では名古屋の人々も勝利の歌が歌えますように。この日の僕はどこまでも聖人だった、まるでマルコスのように。

 

5

恐る恐る開いたはずの三色の傘を畳んで外に出ると、クラブマスコットが見送ってくれている。自粛していたはずのハイタッチを繰り返している。このカモメたちも同じくこの日常を奪われて、そして再開を待ちわびていた。

新横浜が見えてきた。皆、それぞれの祝勝会場に向かう足取りは軽く、「傘は回した。次は経済も回してやらなきゃね。同じくらい大事だってこと分かるかな」と口も、我がチームのパス回しと同じくらい滑らかだ。

 

「こうやって少しずつ取り戻していくのかな」賑やかなアイリッシュパブでチーズを頬張りながら言う。

「きっとそうさ。祖母が言ってた。暗い心を持つものは暗い夢しか見ない。もっと暗い心は夢さえ見ない」

「わかったような、分からないような。もっと楽しくて確かな話はないの」自分で話を振っておいたことは忘れたようだ。

「オーケー。不確かなフットボールの中に確かなものも幾つだってある。例えば僕たちの国で一番速いのはオルンガじゃない、チアゴさ」

「それはもちろん」

「僕も君もトリコロールの血が流れている。なんなら今見せてもいい」

「見なくても分かるわ」

「ここに来週の三協フロンテアのアウェイ指定席が2枚ある。1枚は僕の分で、もう1枚は誰のものか。君はこのデートを断ったっていいし、あるいはそうしなくてもいい」

「全く。行くあてもない人の分までおさえるなんて呆れた人ね。転売ヤー?」

「やれやれ」

 

翌週、待ち合わせ場所に彼女は現れず、ビロードのカーテンを引くように僕の記憶から消えて行った。代わりに隣の席には、「オナーー!」と叫ぶあのオッサンが今日も飛沫を飛ばしていた。

 

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次作、かも目漱石編をお楽しみに。あるいはまったく書かれないかもしれない。