今年もマリノスにシャーレを 2023

横浜F・マリノスのスポンサーを目指して脱サラした頭のおかしい3級審判のブログです

見えない「がんばれ」を込めてますか

マリノスって誰のもの?

選手?日産?チームって何?サポーターって何?そして、コールリーダーって何?誰が認めたの?

 

なぜ、これほどまでに話をややこしくしているのか。なぜ、一枚岩になれないのか。いや待て、一枚岩って必要なのか。なぜこのタイミングでその選曲なのか。それを歌って跳ねない奴は指定席に行けとは何事か。(と、少し挑発的に書いたものの、批判する目的はこの記事にはない。念のため)

 

今回のケースを短期的に言うと、日産スタジアムでのマリノス対浦和戦で、浦和サポが横断幕の掲示禁止区域に(確信犯的に)横断幕を掲げたことに端を発する。通常どの試合でも設けられている、イザコザを避けるための緩衝帯を乗り越え、マリノスのサポーター40名と浦和サポの間で暴力沙汰となった。この辺りは今更見たくもないが、動画が残っている。

 

結果、Jリーグが降した裁定は、両チームともに200万円の罰金だが、浦和は繰り返し違反を犯していて今年だけで4回目であり今後も続くようなら制裁金以上の処分が課せられる可能性も伝えられているそうだ。今年のような状況で勝ち点剥奪などということになれば、愚行がチームをJ2に落としかねない。リスペクト宣言は、アホには分からないのだろうか。綺麗事と言われるだろうが、対戦相手のチームは敵ではなく試合をするための仲間。仲間を応援する相手チームのサポーターには、分かり合えないところもあるし、彼なりの好き嫌いもあるだろうが、サッカーが好き、Jが好きという根っ子は同じこと。なんだけどなぁ。

 

 

さて、冒頭の問い。誰がために鐘はなる、否、誰がためにチャントを歌う。

 

千差万別なその答えに、恐らく一定の割合で賛同が得られるだろう動画を紹介する。

 

わずか120秒の、国民的清涼飲料水の新作CM。子供のいる方は勝手に我が子を重ねて見るだろう。自分がスポーツ少年少女だったなら、親のことを思い浮かべて見てほしい。

 

見えない「がんばれ」が詰まってるらしい。ああ、レギュラーになりそうでなれないアイツも、いや盛ってしまった、まるで縁が遠いにもかかわらず、

雨の日も風の日も送迎して、

朝、起こしてあげたのに、逆に罵られながらも練習に連れ出して、

逆側のゴールなら良かったのに豪快にオウンゴールをかましたら励まして、

願掛けのためにビールを我慢して、でも試合に出られなかったりして。

 

まあ、家族であってもさ、「ありがとう」という見返りを知らず知らずのうちに期待してたりする。

 

ではマリノスの選手に、私たちは、私は何を期待してるのだろう。親が支えなければならない息子達と違って、朴一圭の後ろには数千、数万のサポーターが付いている。でもなぜ、息子と似て非なる、結構似ている感情で彼の名を叫ぶのだろう。

 

答えは、パギさんが横浜F・マリノスの選手だからだ。その昔、山本浩という名アナウンサーがこう実況した。ジョホールバルの歓喜と言われたW杯が悲願だった頃の特別な試合だ。

 

円陣を組んで、今、ピッチに散った日本代表は私たちにとって「彼等」ではありません。これは「私達そのもの」です。

 

感情移入なんて実に勝手なものだ。移入される方は堪ったものではないかもしれない。私達の多くは誰に頼まれるでもなく、横浜F・マリノスを自分たちと同一化し、したがって家族同様に応援している。

 

だからだろう、そんな公共の財産であり私的な思入れのあるものを、ほんの一部の喧嘩っ早い人たちが我が物側で扱うのを、ごく自然に、受け入れられないのだ。

 

本来は、浦和より鹿島より川崎より、マリノスが多くの人々に支持される、分かりやすく言えばJ最多の観客動員になることを望んでいるのじゃないか。それでもって圧倒的な強さでリーグを勝ち抜く。マリノスが。それが私たち目線から見た最高のストーリー。だのに、ピッチならまだしも、スタンドにいるアイツのここが気にくわないとか…。

 

見えない「がんばれ」は、それぞれがたくさん込めている。目に見える形にしたものが、横断幕やゲーフラであり、90分間も情熱的に飛び跳ね声を張り上げる姿は一番分かりやすい「がんばれ」だ。

 

だが、ヤマハスタジアムの駐車場で待つ車列の数々にも、こうやって思いを綴っているだけのブログにも、練習を見守る姿にも、スタジアムで運営を支えるボランティアにも「がんばれ」が詰まっている。

 

何のために?マリノスのため?

いや違う、自分のためだ。マリノスを愛する自分のためだ。

 

身内、肉親の部活や草サッカーならともかく、赤の他人のマリノスの選手たちに、なぜそこまで思い入れる?  私達が勝手に「彼等を私達そのものと」同一化しているためだ。でも、だからこそ、楽しい。我々は泣けるし、喜べる。

 

そうすると、つまり勝敗よりも大事なものがそこにはあり、仮に優勝しても、そうでなくてもどちらでも良いことになるのだが、それを言っちゃあオシマイ案件。別にJ1だろうが、JFLだろうが、県リーグにいようが、「そこにあるマリノスを愛する」ということもそれを言っちゃあオシマイ。もちろん「上位カテゴリーにいるプロチームとしてのマリノス」というステータスが大事ではないなどとは言ってない。

 

さあ着地点を見失ってきたが、サポーターは多かれ少なかれ、家族を思う「ような」気持ちでチームを見ている。コアで筋金入りな人であればあるほど。

 

それなのに、お前の「がんばれ」は足りないとか、俺の愛し方に従えとか言われたら誰だって腹が立つ。できるなら、その「がんばれ」の方向性や強さをぶつけ合うのではなく、束ねてくれる人こそリーダーに相応しいと個人的には思う。彼がそれを実現できていると思ったことも何度もある。が、今はそうなってない。

 

見えない「がんばれ」をたくさん携えて、スタジアムへ。または画面の前から。明日も、また。

 

スタジアムはおめでとう、ありがとうと互いに言い合える稀有な空間だ。異常な幸福感と落胆も少し。もっとたくさんの人が引き込まれてほしいと心から願うし、吸引力をともに作っていきたい。

マジメかよ。

 

動画見てみてください。僕はしばし涙が止まりませんでした。