銀皿航海 蹴球7日制

横浜F・マリノスサポーターです。好きな言葉はシャーレです。

黙祷とダービーは関係がない

異様な音声だった。

7月11日の夜、ニッパツ三ツ沢。両チームの選手が横一列となって、豪雨災害の犠牲になった方に対しての黙祷が捧げられる。

 

中継を見返すと、黙祷の開始を告げる場内アナウンスも聞こえる。電光掲示板には、黒地に白文字で黙祷と2文字が広がる。

沈黙、静寂、頭を垂れる人々というのが当然のはずだが、わずかに聞こえる歌声と太鼓の響き。場内の雰囲気をあえて壊したいのか、ただ何も考えてないのか。静まり返った場内に鳴り響くそのリズムは、もはや不気味ですらあった。

 

ただ単純に被災者を悼むことが目的ではない。黙祷とは、今からサッカーの試合をしますが、大変な状況である方、不幸が起こった方を忘れたわけではないですよ、むしろこうして普通にサッカーができること、観られることに感謝してますよ、というメッセージである。誰かに頼まれたわけでもなく、言うなれば独り善がりなセレモニーである。そのことによって、被災した方々が浮かばれることなどないわけだから。

したがって、黙祷をすることが当たり前だ、しない奴はおかしいというのともちょっと違う。と、私は思う。

ただセレモニーを執り行う以上は、参加者は協力すべきというのはマナーや配慮ではないか。それを無視してまで、何がしたかったのか、何を主張したかったのか。ほんの一部、ごく一部、と聞いているが横浜FCの観客席にいながら、唱歌を辞めなかった人に感じる不愉快さの源はそこではないだろうか。

黙祷する気持ちがなくても構わないが、騒いではいけない。そんなことを学校や家庭で教わっていなかった人が恐らく大勢いる。

 

あの夜、仕事を放り出して三ツ沢に向かった人は多かった。私もその一人だ。平日の天皇杯3回戦で1万人オーバーの集客というのは、このカードだったから。絶対に勝たなければならないから。

普通のJ2クラブが相手だったら、私は無理してまで行かなかったかもしれない。いや、中継がなければ逆に行ったかもしれないが。ともかく、そんな人は少なくないはずである。

ダービーは相手がいなければ成り立たない。その意味で尊いものだなと思った。次、いつ対戦があるかは誰も分からないが、何があっても勝ち続けなければならない相手というのが同じ都市名をチームに背負い、同じスタジアムをホームとするチームの宿命なのかもしれない。だから繰り返すが、本来はダービーは尊い。「神奈川ダービー」は後から取って名付けられたものは少し質が違う。

 

ベオグラード、マージーサイドや、ミラノなど過激と言われるダービーがどのように成り立っているかは知らない。民族や地理によっても、世界中でダービーは異なる顔と事情を持っているのだろう。

ただ古今東西、相手へのリスペクトと、ライバル意識というよりはスパイスとしての敵意でできているのではないか。身分闘争や宗教の代理戦争なんて要らない。嫌悪はかわいいが、憎悪はダメだ。ましてや、人のクラブをう◯こ呼ばわりするなんて、レベルが低すぎて何をか言わんや。

 

厳かな黙祷を邪魔したことと、お互いが相手を嫌っていることは本来関係ない。ダービーだったから、彼らは妨害したいと考え、唱歌を辞めなかったのか。どうだっていい、人を悼む気持ちがなかっただけだ。

 

サポ歴の浅い私は、ダービーとは8-1だと、先輩から教わってきた。それだけに、延長で2-1の辛勝なんて、安堵でしかなく、まったく満足できない。

だから次対戦する時こそ、蹴散らす。今度こそ、歌う気力すらなくしてやろうじゃないか。試合後の静寂。ふふふ。